▼ 年末年始で久々に長い休みをとって、録りだめした番組を見た。ドキュメンタリーや社会問題に関係するものが多く、見終わっての感想は「どうして、これほど皆がイライラとし、不寛容な世界になってしまったのか」だ。
▼ 明日から通勤電車にまた乗るわけだが、必死で他者を「存在しなかったことにする」ためであるかのように、イアフォンを耳に突っ込み、降車する人の邪魔になってもスマホの画面を見ている人間が圧倒的に10年前より増えた。自分を守るためなのだろう。
▼ 一方でSNSの隆盛が続く中で、SNS疲れなる言葉も目にするようになった。流行語になったインスタ映えという言葉も、最近では揶揄的に使われているらしい。ネットを見れば右でも左でも上でも下でも批判がなされ、どの立ち位置が良いのかわからない空中浮遊の状態になりかける。
▼ 結局は人間は、人間は(1)承認欲求、(2)認知的不協和(とその解消)、(3)課題の分離の3つの要素しかないのだろう。スマホの画面を見つづけて、イアフォンの音楽を聞きながら眠ったフリをしているのは、「承認されない自分」が怖いからなのだろう。「承認されない自分」に気づかないフリをするために、その認知的不協和を消すツールがスマホを読んでいることであり、音楽を聞いていることなんだろう。
▼ そして、「嫌われる勇気」という通常であれば難解で売れないはずの哲学入門書がロングセラーになっているのは、「自分で自分を承認すればそれで良い、他人様の領域を気にしなさんな」という課題の分離に共感する人が絶えないからだろう。
▼ この本は尊敬する友人が5年以上も前に教えてくださって読んだのだが、やっとちょっとだけ意味がわかってきたような気がする。その友人は同時に、「乱反射して(自分が)見えなくなったら、一回電気を切ってみることです」とも教えてくれた。心理学では人に話すことは、他者という鏡を通して自分に語っているそうだ。乱反射して眩しくてわけがわからなくなったら、電気を消して光を遮るに限る。見えないものはそれ以上、心を乱さないだろう。
▼ 「他者を赦すように自分を赦す」、実はそれがこの息苦しい世界を心休まる世界にする秘訣であるような気がしながらとりだめた録画をみていた。