▼ アクティビストと言われる投資家集団の動きが目立つようになった。一般機関投資家も株主還元を声高に叫ぶようになった。

▼ インフレなのに金利は安い。アメリカの要人が、株価は高いと言い出した。景気は良いはずなのに、相変わらず、消費者に実感はない。不動産の価格が上がり、投資としての不動産へ注目が集まってる。

▼ 高質消費と言ってる割には、ディスカウンターが根強い人気だ。テレビも雑誌もメディアは、日本は凄い、素晴らしいと報道する番組や特集が増えた。

▼  僕は1988年に社会人になった。ほどなく、バブル経済ははじけ、長い長い低迷が始まった。銀行の護送船団は崩れ、その再編により、多くの事業会社が経営危機の憂き目にあった。

▼ ITバブルは投資銀行と呼ばれる証券会社の嫌な側面を浮き彫りにした。エンロン事件もあった。いつの間にか、それらは忘れられて、妙な金余りが始まった。日本でも、その金を使った物言う株主が増えて、大企業の買収がブームになったが、それで有名になった人々は刑務所に入ったり、海外に拠点を移さざるを得なくなった。そして、僕の勤務先は倒産した。

▼ CDS、クレジットデフォルトスワップという聞きなれない金融商品が世界経済を混乱に陥れ、それが原因で僕の勤務先は潰れた。米国最大の保険会社もつぶれかけた。

▼  誰もが、お金は欲しい時に調達できるというのは幻想と気づいた。フリーターという生き方が、マイナスの意味を持ち、正社員という地位をすべての若者が求め始めた。天下のトヨタのお膝元の名古屋の太閤口のファミレスにはコーヒー一杯で眠れる失業者が溢れた。ネット難民という言葉が生まれ、今もなお、その言葉は生きている。

▼ さて、今。既視感を覚える僕がここにいる。「この道は、いつか来た道」、耳に聞こえるのは流行りの歌でなく、懐かしいこの歌だ。ただし、その曲調は妙な寂しさを帯びている。