▼ 古くからの知人と日本流通業について徹底討論。 商店街、百貨店、GMS、SCという総合小売業の大きな流れと、それに並行して走る食品専門店、食品スーパー、コンビニという流れ。その所々で突発的に発生する、各種カテゴリーキラー。これを時間軸で繰り返しているだけで、実は無限ルーチンを彷徨っているのではないか、と。
▼ 推論の背景1: どんなに素晴らしい改装を施したGMSでも、食品売場から住生活、衣料品のゾーンに足を踏み入れた途端、心が冷めて行く。「10年前、20年前からの旧態依然の売場がそこにある」という虚脱感。デイリーで消費して行く食品というカテゴリー以外では何も革命は起こされていないのだ、総合小売業では。
▼ 推論の背景2: 渥美俊一氏が亡くなり、ペガサスという一つの論理体系が共通言語から失われた時、日本小売業は各社がてんでバラバラの論理「もどき」を振りかざすことにいって、共通言語を失った。これは産業化以前の姿。
▼ 製鉄業は鉄鉱石にコークスを混ぜて熱して純度の高い鉄を取り出すことから始まるように、金融はコストの安い資金を調達してきて高い収益性のある分野に投資や貸し出しをすることが基本であるように、小売業は消費者の不便を解消しつつ安定した商品調達と利益と適性在庫負担を維持することがすべての始まりであることを認識すべき。
▼ 瑣末な流行に目を奪われて、本質を見失った流通業は、化学薬品とカラスの羽で金が作れると言っている錬金術師であるように見える。