▼ 経営者として後期の中内功さんが自社のGMSを評して言った言葉。自己矛盾を孕んでいますが、振り返るとあれ以降の消費文化や社会を表現した言葉であるように思えてならない。

▼ 小売産業のアナリストは「総合小売業」「専門店」の二つの担当分野があった。前者は百貨店やGMS、後者は単一商品を扱うものだった。

▼ しかし、最近、「総合」小売業とはなんですか?と若い研究員に聞かれて言葉に詰まった。ドンキホーテや東急ハンズや一部のドラッグストアの方がはるかに「総合」に見えるという。

▼ まさしく、「(商品は)なんでもあるけど、(欲しいものは)なんにもない」GMSは小売業の主流から抜け落ちた。「総合」小売業だったGMSの経営を支えているのはテナントであり、それは「専門店」だった。

▼ 情報やメディア、ITもそうなりつつある。あまりにも多くの情報が瞬時に手に入れられるようになったことで、我々は情報の取捨選択に苦しんでいる。

▼ ネット検索では欲しい情報に突き当たるまで無駄な画面を何十ページも見なければならず、探し出せても本質的なことは書かれていない。そしてたどり着くは結局のところ、テレビやラジオや新聞、雑誌というレガシーメディアであり、人脈というレガシーリレーションだ。例えばfacebookが次々に誕生するのは人脈が究極と本能的にしっているからだ。

▼ しかし、人脈はキーボードからは生まれない。会って、話をして、礼儀をわきまえながら、ギブアンドテイクをして、時間をかけて生まれるものだ。だから、SNSは次々に死んでは新しいものが流行る。人脈はキーボードから生まれるかのような幻想を抱いているから。

▼ ニュースフィードでの知人とのやり取りでも書いたが、「レコード」「真空管」「バラコン」が根強い人気だ。アナクロニズムと否定するなかれ。感動はそれ相応の努力と技術がなければ得られないということを思い出しているのではないか。イージーに手に入れられるものは、イージーな感動しか与えてくれない。

▼ 昨日「地元に帰ろう」という「あまちゃん」に出てくる歌のタイトルをいただいて、消費者の地域志向を書いた。大手も中堅も消費産業は地域回帰に向かいだした。本質的な自分とは何か、自分は何者か、大事なものは何か、それを考える必要性を感じ始めているようだ。それを「地元に帰ろう」と一言で1年前に予言して共感を集めた宮藤官九郎さんは、やはり時代を読む天才なのだと思えてならない。