▼ とにかく周りで多くの方がお亡くなりになる。年明けには妻の親戚が亡くなった。春には公私ともに本当にお世話になった恩人が亡くなった。秋には仕事で厳しい愛情で育ててくださった事業会社の方の偲ぶ会が開催された。冬には妻の親戚がまた亡くなった。こちらは通夜も葬式も出させてただき、久しぶりに骨上げをした。命を失うということは、壺に入る炭酸カルシウムになることなんだと改めて感じた。
▼ 年賀状の季節の前に、多くの友人から賀状失礼の挨拶状をいただく。高校の友人、大学の友人、会社の同期。今年は年賀状の印刷をやめて、全て寒中見舞いにしようかと家人と真剣に考えているところ。
▼ 影響を受けた映画や音楽の方々も亡くなった。「駅〜station〜」で仕事の辛さとホームシックを癒してくれた高倉健さんが亡くなった。同世代の多くが読んで血を滾らせた矢沢永吉さんの「成りあがり」に出てくる反面教師役ではあるが、素晴らしい俳優さんだったジョニー大倉さんも亡くなった。「北の国から」のスペシャル版で純が妊娠させてしまった女の子の父親役をやり、「誠意って何かね」とつぶやくように若さだけに走る諌めた菅原文太さんも亡くなった。
▼ そして昨日は、尊敬する仕事の先輩が秋に亡くなっていたことを知った。少し腰が抜けた。
▼ 三週間前から中間決算まとめをもって、全国行脚に出ている。いろいろな出会いと金言をいただき、楽しくて仕方ない。「ああ、俺は生きているんだ」と。そう生きているだけで丸儲けなんだ。そんなことを考えることが増えた。