< ニュース深読み >
 No.20はちょっとテンパリパリパリで書いてしまいました。反省。
 
 さて、土曜日の朝は妻が欠かさず見ているNHKの朝ドラに付き合いながらトースト食べて、食べ終わる頃に「ニュース深読み」という番組を見ます。とりまとめのアナウンサーが「ためしてガッテン」でもとても上手に司会をなさる小野文恵さんで、説明もとてもわかりやすいので、コーヒーカップを持ってそのままテレビ前に移動。最後まで見てしまいます。
 
 で、前回の方法は「ゆとり教育」でした。まぁ、こうなるんじゃないかなあと思っていたんですが、ゆとり教育とその弊害と新たな教育指針についての話になると喧々囂々。いえいえ、スタジオじゃなくて我が家が。なにせ、我が家にはゆとり世代と非難される子供がいますので。
 
 その子曰く、「ゆとりになったのは子供のせいじゃない」「ゆとりはリスニング試験だってあって、入試も難しくなっている」「円周率3なんて信じるやつはいない」「大人は勝手に決めて後で批判する、ズルイ」…….、その大人である僕はちょっと困りました。
  
< レッテル貼りは永遠の欺瞞 >
 それにしてもメディアというか日本国民は相変わらず、十把一絡げにするのが好きですなぁ。ゆとり世代と言ったって、カリキュラム変更になったのは2001年くらいからだったはず。だから、年齢によって、ゆとり教育を受けた「濃度」は人によって違うはず。にも関わらず、全部「ゆとり世代」。
 
 就職で批判的な意見もあるここ1-2年の既卒者や今年の就活生も、「覇気がない」「指示待ち」「調べるのは得意だが考えない」とまぁ、さんざんないわれっぷり。でも、彼らがゆとり教育受けたのって中学生くらいからの話です。それとゆとり教育の弊害をリンクするのって論理の飛躍ですな。
 
 やっぱりそういうレッテルを貼ることが好きなんでしょう、この国の人たちは。もちろん僕も含めて。枠に収めるとわかったような気になるんでしょうね。そういえば、毎年、「今年の新入社員は××型」なんて書いていたオジサンがいたけど、まだやっているのかなあ。そんなもん、一言で割りきれるもんでもないでしょう。
  
< 僕はバブル世代…か? >
 僕はいわゆる「バブル世代」。ええ、ええ、1980年代後半~1990年代前半入社組ですよ。でも、おいしいことがあったかって?。とーんでもない。確かに就活は楽でしたが、入社してからは数百人の同期との競い合いで、毎日毎日徹夜か終電でした。
 
 田舎から上京して、「グリーン車料金払っても座れず、連結部分に立つのが精一杯」という日々の生活に呆然としてましたね。たまに同期と呑みに行くと、酒はすんげぇ高いし、タクシーに乗ろうものなら、タカビーな運転手の罵詈雑言に耐えねばなりませんでした。
 
 だから本当のバブル世代は僕らよりも5-10年次上の人たちですね。チケットも交際費も仕事も何もかもあった時代です。それを考えると、「ゆとり」とか「バブル」でくくるのって、マスメディア的な便利なグルーピングじゃないかという気がしてならないんです。
  
< 団塊の世代の苦悩 >
 そこではっと思いました。今やシニア世代と言葉を換えられた団塊の世代の人たちはどう思っているのでしょう。サヨクかウヨクかノンポリか人によって違うでしょうが、少なくともあの頃の彼らは20歳そこそこくらいで表と裏と押さえきれない組織の暴走、そして取り残された「自分」というものの孤独を感じた世代です。それは太平洋戦争での敗戦を経験した彼らの父母に通じるところがあります。
 
 それを「団塊の世代」とくくって語ることに意味があるんですかね。いえいえ、くくっているのは所謂わかものですがね。ネット上では団塊の世代への怨嗟が渦巻いておりますので。
 
 世代が世代を否定して、次の新しい何かを作り出していくのは人の営みとして正しい話でしょう。ただ、なんとなくきな臭いのはネットを開けば若者が団塊の世代に、バブル世代に憎悪を持っているように見えちゃう。これってホント?、実は世論操作じゃない?と思えてならないことが増えています。まぁ、「若者」という言葉の定義自体が曖昧ですが。
 
 野坂昭如さんの懐かしいCMではないですが、「みーんな悩んで大きくなったぁ~」ということを再確認したいですなあ。