< 今年の心はアップダウンクイズ >
今日はクリスマスイブ。明日のクリスマス本ちゃんが終了したら、いよいよお店も世間も一気に年末年始モードに切り替えだ。自分自身の切り替えも含めて、ちょっと今年は自分の棚卸し。
めまぐるしく変わる天候と同じく、今年の自分もめまぐるしくアップダウンを繰り返した。年初は良いムードで始まって「一皮剝けた」ムードでいたのだが、この不景気と業務の環境変化で夏頃から一気にダウントレンド。
おまけに、仕事の必要から新たな資格試験を二つも取得しなければならなくなり、受験のあった秋は完全にアウト。「頭を傾けると耳から単語が落ちてきそう」と大学受験で思ったのを覚えているが、傾けなくても覚えたことがこぼれ落ちるのが中高年の悲しいところ。
加えて、なぜだか知らないが秋は体調と相性が悪いクセに、なんだぁかんだぁと忙しく、七年ぶりにグロッキー、テクニカルKOを食らうところまで追い詰められた。まぁ、今は年初と同じく、達観モードになっているので、「終わりよければ全て良し」なのだが、秋はしんどかったなあ。
< アイヒマン実験 >
精神的に参って書店に行くと、いわゆる啓発本とか自己開発本のコーナーに吸い寄せられて行く。しかし、これがあまり役にたたないのですね。「○○になったら守る30のルールとか」「心を楽にしたくなったら読みなさい」とか(注:タイトルは適当です(笑))、あの手の本です。要するに「気にするな」ということですが、それができるんなら、やっとるわい!とツッコミも入れたくなるというもの。
そんな中でコペルニクス的衝撃を受けたのが、「認知」という考え方ですね。認知症とかいう言葉でもおなじみのこの単語、元々は社会学の用語らしいのですが、「すべての人間の行動と思考は認知に繋がる」といっていいほど、根幹をなすことなのだと知りました。
世の中に色々な書店がありますが、個人的には「ジュンク堂」が好きです。別に特別な本を売っているわけではないのですが、陳列というか分類が見事ですね。上で書いた啓発本を読んで、少し気を楽にしようと思ってあちこちの書店に入ったのですが、まぁ、正直、あまりピンと来るものがない。
で、たまたま入ったのがジュンク堂だったのですが、これが大正解。
「アイヒマン実験」というのをご存じですか?。その啓発本関連のすぐ横に、この実験に関する本があったんですね。で、なんという気もなく読み始めるとこれが面白い。最近、多く発生している事件とも関係するのですが、「なぜ、人は人に従属するのか/させられるのか」を科学的にといたのが、この「アイヒマン実験」です。
詳細はウィキペディアや色々なところで書いてありますので、ネットで探して読んでいただいた方がいいのですが、要するにナチスでユダヤ人虐殺責任者だったアイヒマンという人物が、決して異常人格者じゃなく、むしろ極めてまともな真面目な社会人であったということを証明する実験です。平たくいえば、従属する/させられる状況になれば、誰でもユダヤ人虐殺のようなことを平気で人間はすることができるのだと。
< にんちてきふきょうわ >
「社畜」という言葉が随分前からネットで流行っています。会社の奴隷、という意味です。実際、この不況の中、職を得るのは難しいので、会社や上司などからの理不尽な要求にも黙って絶える=従属するしかないという「社畜」状態に僕たちはいます。
で、それに対して激しい葛藤が生まれますな。「俺はこんなことをやるために経験を積んだんじゃないんだ」とか、「やりたくないけど、やらなければクビになるんじゃないか」とか、まぁ、そういうことです。これを「認知的不協和」といいます。つまり自分の「認知」に矛盾が出てしまうことです。
これを解消するには三つしか方法はありません。ひとつは椅子を蹴って会社をやめちゃうこと。二つ目は我慢すること。そして三つ目は合理的な言い訳を妄想することです。三つ目に関しては、「酸っぱいブドウの論理」とか「甘いレモンの論理」とかといって、高校の倫理社会でやりませんでしたか。
つまり、外界からの刺激に対する受け止め方=認知というものを通して、人間はものを見ているということなんですね。とすると、その認知とかいうフィルターは本当に正しいのか?、という疑問が出てきます。例えば、「クビになるんじゃないか」という認知は、楽天家の同僚から見ると「なんでそんなに思い詰めるの?」と驚かれるような極論に見えます。これが行き過ぎちゃうと、「生きていても仕方ないから死のう」になりますね。
でも、本当に死ななければならない事態というのがどこにあるかしらんと考えると意外とありません。借金とかお金の究極のどん詰まりは自己破産すりゃ、なんとかなりますし。ただ、たいていの人は現状をこのまま維持したいという誤った考え=認知を持っている、それで時々飛躍して自死してしまうんですね。
< 認知の殻の存在を知る >
てなことをジュンク堂の本で知りまして、心理学や社会学の本を読んだらあるわあるわ。僕は経済学専攻だったので知りませんでしたが、そういう誤った認知が何故作られるのか、それを人間はどう解消しようとするのか、そしてどういう現象となって現れるのか、既にごっそり学問として確立されているのです。
なんだかそう考えると、悩んでいる自分がバカバカしくなりました。資格試験が無事受かったせいもあるんですが、要は「考え方ひとつ」という、ずっといわれていることですべては解決しちゃうのだと。にも関わらず、自己啓発本なんかを読みあさっても意味ないです。
この「認知」という奴、自分の考え方の範囲ですから、当然限界があります。で、その「認知の殻」を破ることができると、なーんだ、と以前の自分がバカバカしくなる。でも、そのバカバカしくなっている自分も「認知の殻No.2」の中にいるわけで、いずれ、また悩む。で、「認知の殻」の存在を知っていれば、No.2を破いて、No.3に移行すればいいだけなんです。
で、この考えって、ちょっと違うスパイスをかけると、「解脱」とか「悟り」とかになって参りまして、宗教の世界になります。人文科学の世界では常識なんだそうですが、社会学の親が哲学と宗教で、兄弟が心理学であるとか。今回の選挙前後での株価や外国為替の動きを見ると、これはもう心理学でして、さすれば、文系の学問の祖というのはそれが経済学であろうと、法学であろうと、教育学であろうと、文学であろうと、根っこは「人の心」なのだなと。
ジュンク堂、恐るべしです。