《 常識はすべからく、思い込みである 》
 ここ3週間は多くの経営者の方とディスカッションする機会があった。テーマが決まっていたわけではないのだが、時勢もあって、「このままで良いのか?」とブレークスルーを求める声が多かった。

 しかし、その一方で話者のかなり多くの人が「思い込みの常識」を持っているのは何故なのか?。例えば、(1)ウォールマートは世界一の普遍流通業モデルである、(2)日本で圧倒的な力を持つ流通グループを凌ぐほどの流通業を構築するのは無理である、(3)低価格戦略はPBでやり尽くし「価値訴求型」小売業が強みを持つだろう、などなど。

 申し訳ないが、「嘘」とまでは言わないが、すべては思い込み、脳内幻想であると思えてならない。

《 敗れることのない企業があったか 》
 日本という、このちっぽけな島国に今なお生き残る共通価値観は「生々流転」「諸行無常」「踊れる平家は久しからず」である。要は「すべては大きな循環サイクルの中に、中型・小型の循環サイクルがあり、それがぐるぐる回っているだけだ」と。

 不勉強にして、ギリシャ危機は知っていたが、米国国債がデフォルトしそうになっていたとは知らなかった。しかも、それを避けた手段が「借りれる借金の上限アップ」。どこぞの国の政治のレベルのひどさには、もう力なく笑うしかないけれど、ワシントンDCから「バシッ」とキメたスーツで報道官やら閣僚が話しているレベルは、「えー、うちの国債が債務不履行になりそうでやばいので、限度額を増やして、もうちょいとカネつまんできます」。なんのことはない、多重債務者である。

 「我が社こそは日本のウォルマートなり!」という声を日本中で何度聞いたろう?。でも、いつまで経っても営業利益率は同業他社に毛が生えたレベルだし、そもそも、日本のウォルマートだというならば、もうとっくに日本みたいな小さい島国制覇しているだろう。憧れるのは結構だが、憧れて、どんなものを着ているか・食べているかを調べるだけではAKB48にはなれないのである。

 面白いのがほんの15年前、20年前には、こうした企業の多くは「我こそは日本のKマートなり」「我こそは日本のニーマンマーカスなり」「我こそは日本のマークス&スペンサーなり」と叫んでいたのである。ほほえましいではないか。

 どんなにとどまろうとしても時間は流れていくし、時代は変わっていく。それに合わせて価値観もまた変わる。そうした中で敗れることのにあ企業がこれまでにあったろうか。まさに生々流転だ。

《 自らを規定するのと枠をはめるのは別物だ 》
 人間はあやふやなものだ。自分を自分たらしめているアイデンティティという奴も、脳という生物学的には永遠ではない物質に頼っているだけに曖昧模糊としたものだ。しかし、だからこそ、自分を規定することは尊い。それまで経験した全ての体験をベースに自分を作っていくのだから。

 しかし、それは自分を枠にはめるのと同意語であることには常に警戒せねばならない。

 なぜ鮮度が売りの高品質スーパーに低価格お値打ち品をおいてはいけないのか、うちはこれを売りませんと言えずにアイテム数と在庫ばかり増やすのはなぜか、他社が新製品を出すと「真似じゃないよ」という言いながらソックリ商品を業者に作らせて棚に並べるような「おこちゃま」商品企画ヘッドがいるのは何故か。昔はそれを「パクリ」と言わなかったろうか。

 小売サービス業は差別化が難しい業界だという。本当か?。それならば、ネジを作るとか、プラスチック原料を作るとか、そういう産業は差別化は不可能という結論になるのだな?。でも、テレビの「東大阪下町工場探訪」、「日本を支える大田区の中小工場」という番組は根強い人気があるぞ。そしてこういう特色ある製造業の収益性や利益率は流通サービス業よりもはるかに高いぞ。彼らはみな、ボッタクリバーのママなのか?。

《 常識の枠を超える想像の翼を持とう 》
 人の命や健康や資産を冒してはいけないという「常識」で人間社会はできている。しかし、食品スーパーで薬を売っちゃイケナイという規制はないし(必要人員をそろえれば)、誰もフランチャイズ加盟者になりたがらないフランチャイズビジネスシステムが、素晴らしいビジネスモデルだという常識は終わりつつあるように思う。

「自らの常識を疑え」ということを、かなり昔の余談で書いたが、再度繰り返したい。

「自らの常識を疑え」。それはボクも、である。

 「自分の成功体験を押しつけるな。それは本当に成功体験だったのかと振り返れ。」、ボク自身も振り返らなければ。そうでなければ、60年代安保と70年代安保で過激な闘争をしたことを、単なる懐かしい甘美な思い出として噛みしめている連中と変わらないではないか。

 常識の枠は超えるのが難しいから、価値がある。その難しさから背を向けて、「おまえらなぁー、俺の若いときは。。。」と語る前に、自分は正しいか疑え。すべて疑え。そのフィルターをくぐり抜けた抽出物が枠を破るハンマーになるのではないだろうか。

《 レッド 》
 出版ペースが遅く、年に二冊ほどしか出ないけれども必ず買う漫画。山本直樹の「レッド」と西原理恵子の「毎日かあさん」。

 前者は赤軍派という語り部を使って、果たして今の日本はこの時代から何が変わって、何が変わっていないかを問い返す傑作。

 後者はとてつもなく嫌なことがあった日の夜に、寝付かれないまま床についた時にちょっと読むと「まぁ、人生もそんなに悪くはないか!」と眠れる極上の睡眠薬。

 両方ともお薦めです。