《 万物は原子でできている 》
 「鉄腕アトム」と言えば、言うまでもなく手塚治虫さんの名作。アニメ化もされ、七つ違いの私の兄は、近所のテレビがある家の窓枠にしがみついて、アトムのテレビ放送を見ていたそうです。その様子を見た私の母が、余りに可哀想だからと父に相談し、テレビ(勿論白黒)を我が家でも買ったというのが佐々木家の美談。

 それはさておいて、アトムとは「原子」のことであり、その原子が物質を作る単位であることはもはやジョーシキ。「水平liebe僕の船、そー曲がるシップスクラークか…」などと理科の先生に暗誦させらて苦しんだアレは、元素というもので、原子核が一個か二個かで別の物質になった一個一個を覚えていたということです。それくらい、原子・アトムというのはすごいものだと。

 で、大東亜戦争の後の子ども達を勇気づけたのが「鉄腕アトム」であれば、大人を勇気づけたのが湯川博士のノーベル賞受賞。湯川博士が発見したのが「中間子」です。

 原子の構造は地球(プラスの性格を持つ原子核)を月(マイナスの性格をもつ電子)が引きつけあいながら回るような形になっているというのが基本理論。

 しかし、湯川博士は「原子核の中には二つのさらに小さな粒子があって、それはずっとプラスの力を持つ陽子とプラスにも中立的にもなれる中間子というものの二種類がある」というものでした。つまり中間子の発見。ここから日本の物理学、科学の再発展が始まるんですね。

《 天文学と物理学 》
 さて、今日の余談は何かをご期待下さっているかもしれませんが、今回は何のこたぁありません。先週の「立ち読み」の続きです。しかし、内容としては少々違っております。

 本屋で本を物色するときは社会科学や「話題の新刊」コーナーに行きがちです。これは仕事柄仕方ないところ。しかし、最近は社会科学のコーナーに行くたびに「ドラッカーが×××」で、ちょっとうんざり気味。

 ドラッカー先生が悪いわけじゃないんですが、「マネージメントの本を読めば素晴らしい経営できるんなら、日本中の企業はとっくにFORTUNE100を全部占めてらい!」とひとくさり文句を言いたくなります。

 そんなわけで、新しい発想とか気持ちを変えたいときは自然科学のフロアに行くに限ります。一番好きなのは天文学と物理学のコーナーでしょうか。といっても、高校時代に物理2点(もちろん百点満点)という迫力満点の点数をとったことがある私にとって、「理解できるから」物理のコーナーに行くわけではないのですが(岩切、中川、嗤うなよ)。

《 天文学=見方の時間軸が変わる 》
 天文学は時間軸が私の普段考えているそれと全然違うので気持ちが楽になれるからです。先日も、重力は地球の二倍で、二酸化炭素の構成比が若干多いだけの地球そっくりの星が見つかったそうです。体重三桁に限りなく近い私は、間違いなく自重で死ぬでしょうが、AKB48の板野ちゃんならば生き抜けそうです。そういった星に20年かければ行けるのだそうです。もちろん20「光」年ですが。なーに、「宇宙戦艦ヤマト」のワープエンジンで行けば一瞬です。

 ちなみに太陽系と地球の年齢は46億歳、宇宙の年齢は110-200億歳です。先ほど出てきた1光年は9.5×10の12乗キロメートルですから、時速100キロの車で行けば100,000,000,000年=1兆年で着けます。速度の速い車に乗ればのるほど時間がゆっくり進みますから、20光年なんて近い近い。

 こんなことを考えていると、今期の業績予想とか今年上半期の佐々木の業務達成率なんてことが全然どうでもよく思えてきて、とても精神衛生によろしい。天文学の本は、むしろ医療健康の「メンタルヘルス」のコーナーにおいた方がよいのではないかと思えるほどです。

《 物理学=常識を塗り替えてくれる 》
 一方で物理学は何のメリットがあるのか?。「古い自分の常識を塗り替えてくれる」からです。

 冒頭に申し挙げたように、私は学校で物質の元になるのは原子であると教えられてきました。ほんの30年ほど前の事です。しかし、実は今はこれは「ウソ」なのです。

 実はまだ先週感動した本を買いに行っていないのでうろ覚えなのですが、宇宙の中で「原子」で説明出来るのは4%しかないのだと。じゃあ、他の96%はなんで出来ているのだというと、少なくとも0.5%-1%はニュートリノでできていると。そう、「スーパーカミオカンデ」という地下洞窟にガラス球を何千何万個と並べて存在を発見したシーンで有名となった、ノーベル賞受賞者の小柴昌俊博士の研究分野が「ニュートリノ」でありました。

 つまり、小柴博士の業績は「世の中は原子だけでできているのじゃない。そのひとつであるニュートリノがある。それを俺は実験で発見した。」というところにあるのです。素晴らしい事です。これはもう教科書を書き直す話ですね、「宇宙は原子だけで物質ができるのではない」と。

 ところがところが、まだこれで終わりではないのです。宇宙を形成しているものの大部分は原子でもニュートリノでも無いんです。それは何かと言えば、人間がまだ観測・観察できない「暗黒物質」「暗黒エネルギー」で、全社が約22%、後者が74%なんだそうです。

 「暗黒物質」とか「暗黒エネルギー」などと言われると平井一正さんの「幻魔対戦」(1967年)や、先述の「宇宙戦艦ヤマト」(1974年)の中で出てくる、SF小説や漫画の世界と思いがちなのですが、実はこれ、正しい天文物理学・素粒子物理学の言葉だったのですね。

 「暗黒物質」という言葉は、既に1934年の段階で、これが存在しないと宇宙全体の質量とか歴史とかの理屈がつかないと提唱された概念場のものです。その意味ではアインシュタイン博士の「相対性理論」と同じです。まだ観測出来ないけれども、理論的には存在していると。後年、「相対性理論」の質量が光とエネルギーが密接な関係を持つことは天文観測や原子爆弾の悲劇で証明されることとなります。そうすると、「相対性理論」や「ニュートリノ」と同じく、「暗黒物質」も早晩、実験で発見されるのでしょうか。わくわくします。

《 社会人文科学=わかったフリして歩もうとしていない? 》
 さてさて、本屋の話でした。自然科学のフロアで一通り一時間ほど立ち読みをして、翌週買う本の物色をして下りのエスカレーターに乗ると、なんだか肩がふっと軽くなるのです。「今日正しいと思っていることなんて、明日は間違いになる可能性が十分あるんだ」と。それは担当している流通サービス業の理論においてもそうですし、自分の生活を支えている様々な「決めごと」もそうでもあるはずです。

 社会科学や人文科学はヒトに関する色々な複雑なことを扱います。簡単な定量化はおおよそ不可能に思えますし、自然科学ほどの割り切りも出来そうもありません。

 しかしながら、日本の脳は十分にニューロンの数を使われないで命を閉じていくとも言います。その使わなかった部分に、天文物理学で言うところの「暗黒物質」がないと誰が言えるでしょうか?。自らの反省をこめれば、単に怠けて「暗黒物質があるかないかの検証」すら行っていないのが、文系人間なのかもしれません。

 そうした爽快な反省をするためにも、今日も私は本屋に行くのです。