▼ 二年前、最も多くの人が悩み苦しんだのが「移動できない」ということだった。故郷の両親、案件が決まりかかっているクライアント、悩み相談をしたい親しい友人、息抜きの旅行、、、、すべての移動がほぼ禁じられた。何度かの緊急事態宣言の合間に動くことは可能ではあったが、日本特有の同調圧力が当局からの厳しい制限、また所属する組織や企業のルールのため、移動することが実質不可能であったことは今も記憶に新しい。

▼ しかし一方でそれは「移動しなければ会えない」という「距離」の消滅をIT、DXで急速に実現させることともなった。2022年の年初の今や、遠方の友人知人クライアント、総ての人との連絡は電話や電子メールなどではなく、お互いの顔を見ながらのリモート通信となった。ZOOMのインターフェイスの良さはskypeなどの既存のオンラインミーティングファシリティとは桁外れの素晴らしさであったし、それを応用にCISCOのWebexやMicroSoftのTeamsなどがZOOMの後を追い続けた。また、Facebookのビデオメッセンジャー機能やLINEのLINEビデオ通話は、もっとカジュアルなビジュアル通信を可能とした。

▼ 中国のサーバーを経由しているからとセキュリティ面で使用を禁止している企業や組織はまだあるが、それでもWebexもTeamsもZOOMの便利さ・カジュアルさ・UIの素晴らしさはいまだに群を抜く。いまや死語になったオンライン飲み会も「ZOOM飲み会」という一般名詞となったことはその証左だろう。

▼ そしてこの各種オンラインツールの急速な普及がもたらしたものは、距離がもはやコミュニケーションの問題でなくなったことだ。残念ながら時差だけは海外とのやりとりでは残るが、それ以外では全ての情報、資料、内容が瞬時にほぼ無制限の参加者で共有し、議論できる。そんな中、「ワーケーション」「在宅勤務」「ハイブリッド講義・ミーティング」など多くの時間共有の方法が開発された。

▼ もはや言うまでもなく、このことはリアル会議というものの悪い側面を総てそぎ落とした。結論の出ない会議、発言する者のいない会議、ダラダラと時間だけが過ぎる会議、そうしたものが総て払拭され、逆に今まで発言したことのない才能有る人物が発言をしたり、アイディアを述べたり、トントン拍子で決まったり、アジャイルなトライ&エラーが実行されるようになった。総てとはいかないが、リモートによるコミュニケーションはさらに進展することはあっても、逆戻りすることはないだろう。

▼ 2021年9月30日の緊急事態宣言解除から徐々にリアルオフィスへの出勤が命じられ、いまやほぼ毎日出勤するようにルールを戻した企業や組織もあるやに聞くが、効率性や生産性に対する意識の低さが露骨に分かるという点でレピュテーションリスクを感じていないのだろうかと疑問に思わざるを得ない。どうしても仕方ないときは満員電車に乗ることもあるが、基本的にわたしは時差通勤しかしない。以前の働き方改革で企業の善し悪しを評価したように、リモートの利用は企業の評点になるだろう。

▼ さらに脅威なのが自動翻訳、自動通訳の精度の向上だ。AIを使って、それらが高度なものになることは予想されていたが、実際にリモートでのコミュニケーションをして最も悩まされるのは以前として言語だ。しかし、今やブラウザやソフトウエア、アプリケーションで極めて高度な翻訳がかなりの低価格で使えるようになった。例えばDeepLなど。こいつは英語→日本語→中国語→日本語と戻して翻訳してもその意味は殆ど変化しない。

▼ そして次に来るのが自動通訳だ。既にYouTubeの動画の一部ではボタン一つクリックするだけで、話している内容が日本語字幕になる。まだまだ精度は低いものもあるが、中には十二分に意味が取れるものも少なくない。そしてこれがZOOMにアドインとして実装されつつある。その時、何が起こるか。そう、語学による障壁の消滅である。そしてその際に最も打撃を受けるのが…..大学や大学院などの高等教育だ。講義を受けるのであれば、何も日本の駅弁大学に通学する必要はない。海外の有名スクールに通い、通訳ソフト付きの講義を受ければ講義も分かるし、質問もokuすること無くできる。その意味で今後の高等教育は構造不況業種となるだろう。

▼ ただ、ただである。総てがリモートになるかといえば、そうはいかないものがある。それが人同士の「空気感」「温度感」「守秘性」そして「無駄話による発想の展開」だ。わたしは2020年の初夏に転職したが、この時ほど辛い思いを味わったことがない。知らない職場、知らない仕事、知らない上席、知らない同僚といきなり働き始める辛さは経験したものしかわからない。はっきりいえば、2020年春に入学、転職した人間しかこの辛さは分からないし、その超マイノリティの声が上がってこないことに対する苛立ち、恨みは今なお自分を傷つけている。

▼ ビジネスや友人関係もそうだろう。両方ともA=B=Cという単純なもので、案件が決まったり、仲良くなったりするものではない。お互いの空気感、雰囲気、温度感を一見無駄話に見える話を経て感じ合い、そして信頼に足るかどうかをチェック出来てはじめて成立する関係だ。人類の言語によるコミュニケーションはおおよそ7~7.5万年前からと言われている(叫び声のようなものであれば50万年前)。それが二年間のコロナで総てリモートに置き換わるとはとても思えない。

▼ 事実、緊急事態宣言が明けた10月頭からほぼわたしは連日誰かとランチやディナー(酒)をとっている。「今話さなければ、次はいつかは分からない」という焦りと、話せることによるストレス解消、カタルシスを痛烈に感じているからだ。おかげで大正漢方胃腸薬とハイチオールC(L-システインという物質が二日酔いを緩和しれくれる)にはやたらとカネを使うようになった。朝はしんどいことも多いが、在宅勤務で少し気分的に凹むことが多かったことを思えば、やはり対面で話すことの重要性は絶対に存在すると言えるだろう。

▼ 今更言うまでもないことだが、リモートと対面、そしてハイブリッド。これに翻訳、通訳を組み合わせたコミュニケーション。これが距離と国家、民族間の距離を大きく減じ、それに伴う消費を大きく変えることは明らかだ。

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