▼ 音楽家の高橋幸宏の訃報があった。世界三大ギタリストの一人であるジェフ・ベックの訃報が報じられたばかりのショックは大きい。特に僕にとっては。
▼ 英語が苦手だった自分は洋楽に近寄れず、必然的に邦楽のフォーク、ニューミュージックに親しむようになった。そのうち高校時代に突如、インベーダーゲームの音楽のような一見無機質でいて、しかし耳から離れないYMOの音楽が凄いブームになり、その斬新さと「ひょうきん族」世代にも馴染むユーモアは高校生の僕らを魅了した。通っていた高校では昼休みの音楽は毎日毎日YMOだった時期がある。浦沢直樹の「20世紀少年」の冒頭でT.レックス「20センチュリーボーイ」がかかるシーンはそれに重なる。
▼ 高橋幸宏は「サディスティックミカバンド」で加藤和彦、高中正義、後藤次利、小原礼らと組み、細野晴臣は「はっぴいえんど」を松本隆、鈴木茂、大滝詠一らと結成し、さらに細野は鈴木茂、松任谷正隆、林立夫らと「キャラメルママ(ティンパンアレイ)」で松任谷由実の金字塔「ひこうき雲」の制作に携わる。
▼ ちなみにはっぴいえんどをバックバンドとして率いてアコースティックフォークからロックフォークに変身し「私達の望むものは」「自由への長い旅」などで一斉を風靡したのは岡林信康だ。ボブディランにおけるザ・バンドだというのは有名な例え。
▼ 松本は作詞家として松田聖子から吉田拓郎、そして数々の珠玉の詞を書いた。加藤は言うまでもなくフォーククルセダーズを皮切りに日本の音楽の作り方そのものを根本から変えたあと、突然自死した。高中は1980年代のエレキギター小僧であれば誰一人コピーしたことのないというギタリストとなった。小原は多くのアーティストとコラボレーションを行うと同時に尾崎亜美が妻。後藤は作曲家、編曲家としてのビッグネームであると同時に、我々世代には妻がおニャン子クラブの河合その子として記憶される。早逝した大滝のナイアガラの洗礼を受けなかった50代、60代はいなかったはずで、洋楽のみならず日本歌謡曲の分析に関しては第一人者だった。鈴木のギターは高中のフィーフィーギターと呼ばれるノリの良いものとは対局であり、叫ぶギターとして有名。松任谷は言うまでもなくユーミンの夫であるが、アジア主義を掲げた玄洋社の頭山満とあるラインで繋がっていることは「愛国とノーサイド」を読まれたい。
▼ 2022年、ユーミンや矢沢永吉やチューリップなどの邦楽の巨人達が50周年を迎え、これらのきら星のようなミュージシャンがひそかに注目された。「日本語でロックは歌えない」と行った内田裕也は既に鬼籍に入ったが、残念ながらそれは「はっぴいえんど」が見事に覆し、そのメンバーが日本のポップスを牽引した。
▼ それにしても青春時代に接した音楽家、文筆家、芸術家、思想家などが鬼籍に入っていくのは何とも辛いものだ。そういえば、年末に放映された立花隆のドキュメンタリーは偉大なる知識人でさえ「無から生まれて無に帰る」という人間の姿を見せてくれるものとなった。
▼ これからも、多くの訃報に接することになるのだろう。そして次は自分達の世代の訃報に接するのだろう。仕方ないことではあるのだけど、寂しいような、でも歴史はそうやってできてきているのだと感じるそんな小正月となった。