2023年9月7日

千葉劇場で「福田村事件」を観た。

福田村事件とは、1923年9月6日、関東大震災の未曾有の混乱の中で「朝鮮人」や無政府主義者などを対象に流言蜚語に基づく報道や政府からの通達が交錯し、大規模な虐殺が行われている中、震災の6日後、香川県からの薬の行商団15名が千葉県福田村で朝鮮人と疑われたうえ地元の自警団に暴行され、9名(内一名は胎児)が殺害された事件である。

事件後100年を経て事実を元に作られたこの映画は我がイオンシネマでも観れたのであるが、どうしてもこの映画は息詰まるような感覚の中で観たいと思い千葉劇場に足を運んだのである。まさしく千葉劇場は平日の上映にも関わらずほぼ満席だった。

通常このような事件はただただ「普通はあり得ない事」と言う描き方であったり関東大震災と言う全く非日常な中での「あり得ないことが起こったので仕方のない」と言う風に描かれがちなのであるが、この映画では震災前の福田村や行商団の日常を丹念に映す事でこの事件の普遍性を描き、この時代の差別、偏見の実情やそれが震災を経てそれがどんどん増幅しおかしくなっていくプロセスを丹念に映すことでこの事件の必然性を描いている。

前段で差別、偏見としたがこの薬の行商団は被差別部落の出身でありだからこそ比較的に差別の少なかった東日本で行商しているという事情がある。そうした彼らが「朝鮮人」やらい者に対し差別したり逆にちょっとした親切を施すさまを描くことで差別や偏見が重層的であり複雑であることを思い知らされる。人と言うのは同質を求めて群れる生き物であり、不安や危機に対して同質を求めるあまり「異質」を作り出し排斥していくという愚かさがいかんなく描かれていく。

そして俳優達の素晴らしい演技。主演の永山瑛太や井浦新もさることながらピエール瀧や水道橋博士、東出昌大などあまりテレビに出てこない俳優たちが胸が苦しくなるような演技をこなしている。また映画の筋もある意味「面白く」ドラマ初メガホンとはとても思えない森達也監督の腕に驚いた。カメラワークも美しくこの映画をただただ異常な暗いものにするのではなく、みずみずしさや鮮やかな色合いを与えてくれる。

今はこの事件から100年経ったが、人はここからどれくらい賢くなれたのかなとつい思ってしまう。昨今の世界の政策や本邦のマスコミ報道などを見ていると、寧ろ人は偏見や悪意の増大、他者を学ぶことに対する意欲の低下など悪化する一方で排斥する力、差別を冗長する術だけを大きくしてきたのではないのではと感じる。
差別や偏見が起点の行為行動から生み出される価値は何もなく短期的には優位に立てたとしてもバイアスの掛かった行為は永続出来ないと思い至るべきだと自分にも含めて改めて言いたい。

そうした意味でこのような事件を映画化してくれた関係者の方には感謝しかない。特にこの映画で随所に見せた「希望」、主人公たちや女性新聞記者の行動、行商団の最後に唱える水平社宣言など、我々も守るべき希望のかけらだと感じた。
本当にこの映画を沢山の人に観て頂きたいと思う。

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