<還ってきた村上ファンド>

 「ホリエモン」「ライブドア」「村上ファンド」、そして「もの言う株主」。リーマンショック後の景気の急落で、これらの言葉は既に過去のものとなったように感じる。

 ホリエモンことライブドアの堀江貴文氏は実刑判決で収監されているし、ライブドアはライブドアホールディングスと名前を変えて清算途上にある。ニッポン放送株のインサイダー事件で村上世彰氏は執行猶予三年・懲役二年の判決を受け、シンガポールに姿を消した。

 ひととき世間に受け入れられた「モノ言う株主」は、単なる乗っ取り屋を意味する言葉へと置き換えられ、その後の「アクティビスト」「ヘッジファンド」の台頭とともにうさんくらい投資屋の代名詞となっていった。

 しかし、その村上氏が再び行動を開始したようだ。詳細はメディアの記事を読んでいただいた方がよろしいと思うのでURLをリンク。

NEWSポストセブン:「村上ファンド」の関係会社 SBIの大株主に浮上で市場騒然
http://www.news-postseven.com/archives/20121030_151887.html

闇株新聞:SBIホールディングスと村上ファンド
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-603.html

※両者のスタンスの違いでニュアンスが変わっているところが興味深い。

<村上ファンドの功罪>
 村上ファンド事件は上述のように「悪」としか世間には認識していない。確かに「聞いちゃったんですよ」発言のノリの軽さに見られる村上氏の態度は、インサイダー事件という重大事件に関与した者の発言としてはあまりに軽いし、反省を感じられない。

何よりも、株式市場や金融市場に対する信頼性を損ねたことは、個人投資家を始めとする一般投資家にとっては罪深き犯罪である。

 しかし、一方でライブドア事件、村上ファンド事件にも一筋の「功」があったことを忘れてはならない。それは企業経営者及びオーナーへの経営に対する緊張感が高まったことだ。

 この時代多く打ち出されたのが、「買収防衛策」。逆に言えば、企業同士の持ち合いで「なぁなぁ」の馴れ合いで生きてきた経営者を震撼なからせしめる出来事であったと言える。

 いくつかの企業が、「子会社の企業価値>親会社の企業価値」となっていることから、親会社を買収すれば子会社も手に入れられるという「ねじれ現象」を恐れ、持ち株会社体制に移行していった。

 誤解を恐れずに言えば、村上ファンド事件、ライブドア事件は日本企業のガバナンス・企業統治のあり方を問うことになった大きな契機でもあったのだ。

 しかし。しかし、である。堀江氏も村上氏も有罪判決を受け、マスメディアは世紀の大悪人であるように喧伝したことで何が起こったか?。新たなる持ち合いと、企業経営者の危機意識の弛緩、そして何より日本企業の脆弱化ではなかったか。それは2011年から2012年まで数多く起こっている企業スキャンダル、業績の極端な悪化、そして日本企業の企業価値を示す時価総額の大幅な低下である。

今や日本企業の平均PBRは0.4倍。買収すれば、解体解散させてもばら売りすれば、60%は儲けられるというだ。

<敵対買収は悪なのか?>
 村上氏は2011年6月に執行猶予三年の判決を受けた。2014年6月に執行猶予は終わる。堀江氏は2011年6月に2年6ヶ月の収監を受けた。2013年12月もしくは2014年1月には
収監が終わる。それらを前にした村上ファンドの復活は何を意味するのか。そして、彼らがメディアや国民に叩かれるだけ叩かれた後に起こったことを考えると、果たして日本は良
くなったのか?。

 筆者はこの2氏と面識があるわけでもないし、彼らの犯した罪を肯定するものでもない。しかし、彼らのアクションは明らかに企業経営者の行動を変えた。歴史にもしはないが、もし彼らが有罪判決を受けず、いまだに貪欲な「モノ言う株主」としての行動を続けていたら、過大投資による巨額赤字やモラルに反する企業スキャンダルなどの起こり方は変わっていたのではないか、そんなことをふと思う。

 この2事件の後、全く封印されたのが敵対買収である。そして逆に増えたのがMBO、つまりは株式の非公開化だ。では、MBOをした企業が本当に彼らの言うように「モノ言う株主からの理不尽な要求を避けることで、企業価値を増大」できたのか?。既に公開していない企業なので実態をつかめるわけではないが、必ずしもそうではないというのが真実のようだ。

 潜在的・本源的価値がありながら、それを引き出すことには「外圧」しかないことは、日本の過去の多くの歴史が語っている。日本というのはそういう国であり、そういう国民なのだ。だとしたら、「モノ言う株主」や「敵対買収」といった荒技もまた「外圧」になり得るのではなかったのか。2006年に発生したこれらの事件のあと、何が起こったかを考えると必ずしも明るい気持ちにはなれないのだ。

<緊張感無き日本企業>
 トンチンカンな付加価値をつけた商品に大々的な広告宣伝費を投じ、現場が吸い上げた顧客ニーズは長い長い途中の報告書と稟議でねじ曲げられ、投資のリスクとリターンのレンジを予想することもなく、楽観的な報告だけを聞く耳を持ち、耳障りの悪い意見を言う人間を遠ざける組織に多くの日本企業はなってしまった。

 アジア展開も良かろう、ODAも良かろう、技術立国日本も良かろう。しかし、それらはすべてプロセスマネージメントがきちんと出来ての話だ。プロセスが歪められたところからは、ゆがんだ結果しか生まれ得ない。

 あえて言えば、村上氏と堀江氏、そしてこれに続く「モノ言う投資家」が日本を引っかき回してくれないかと筆者は望んでいる。それは罪を犯した人間に何かをされろと言う意味では
毛頭ない(そもそも多くの芸能人は薬物を使って有罪判決を受けても、しっかり芸能活動を行っているではないか)。

 このぬるっちいお湯につかっている内に本当に茹でカエルになる日がもうすぐそこに来ているのではないか、経済にしても、政治にしても。それを早急に変えるには「外圧」しかな
いのである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です