《 「名前」をなくした女神 》
 私の妻は、本好きのドラマ好きである。「本を買うことを禁じられたら、私の人生は牢獄に繋がれているのと同じ」だそうだし、韓流と言う言葉がない頃に「冬のソナタ」を第一回からNHK-BS深夜枠で見ている。最近は演劇にも凝り始め、この分野で面白いものを見いだしてくる才能は天才である。

 その妻が発見し、僕も誘われて毎週見ているのが「名前をなくした女神」というドラマ。一言で言えば、お受験を控えたママ友のドロドロとした水面下での闘いを描いた作品で、男性には極めて陰鬱なドラマなのだが、目が離せない。その理由は、近現代の女性が押しつけられてきた過度な負担、変わらぬ男社会への痛烈な風刺があるからだ。

《 ××ちゃんママ、という「名前」 》
 子どもを持つ母親、特に専業主婦は、彼女たちの「名前」をなくすことを強いられている。どんなに学生時代に優秀な成績をおさめようと、どんなに素晴らしい仕事をしてきていようと、そしてどんなに夫が仕事をしやすい環境を支えていようと、彼女らは「××ちゃんのママ」であって、名前はない。なぜならば、子育てをする中で、自らの名前は捨てなければ子育ての中に入っていけないからだ。

 子どもを初めて近くの公園に連れて行くことを「お砂場デビュー」と、彼女たちはやや自虐的に呼ぶ。なぜならば、子どもを公園で遊ばせる、近所の母親同士のコミュニティに入っていく時には彼女らの受けた高等教育や仕事での実績、そして人生観は全て押し殺して入っていかなければならないからである。その一方、既に「お砂場デビュー」している先輩達の厳しい品定めと入会審査に黙って耐えなければならない。

 そう、彼女らは「お砂場デビュー」以降の子育てでは名前をなくす事を強要され、社会の因習の中に押し込められている。囚人と同じである。そして、なんのことはない、「平塚らいてう」が、「津田梅子」が因習的な日本の男社会の中で意を決して立ち上がった時となんら時代は変わっていないのである。日本はいまだ、明治維新前にある。

《 「内助の功」という詭弁 》
 司馬遼太郎氏の小説の中では「功名が辻」が僕は大好きだ。夫の成功のために「金10枚」という驚くべきヘソクリを出し、山内一豊が土佐一国の大名となるきっかけを作った妻の存在にクローズアップした歴史小説である。

 ここで一豊は決して才能溢れる経営者としては描かれていない。むしろ槍の使い手として以外は、凡庸な男である。ただ、彼には「わからないことは人に教えを乞うことを恥ずかしがらない」という美徳があった。その最も良いアドバイザーが妻である。妻無しには彼は土佐一国どころか、戦国時代で生き残れなかったであろう。

 しかし、最終章で一豊もまた因習的な男社会の中での凡人でしかないことが史実とともに示され、読後に苦い味を残す。妻から「道義的に絶対にそれはしてはなりませぬ」という忠告にも関わらず、一豊は守旧派勢力の虐殺を行うのだ。確かに短期的な土佐一国平定というメリットは得られたが、一豊は中長期的には共同経営者である妻からの信頼を失うことになる。ここでできた溝は永遠に埋まらなかったような印象を与えて、小説は終わる。

 「内助の功」という言葉がある。しかし、この「功名が辻」を読んでも、また周りの多くの成功者を見ても、この言葉ほど女性を蔑視したものもなかろう。なぜならば、成功者の少なくとも半分は共同経営者である妻の献身的な貢献によるものであり、それは決してお気楽な主婦業などではないからである。たとい、専業主婦であったとしても。

 我々は「内助の功」という言葉を捨てるべきである。

《 草食系男子の必然 》
 妻達の貢献は「内助」などではなく、収益を稼ぐフロント部隊に対する、戦略と計数管理を担うバックオフィス部隊である。予算-実績管理、ポジティブキャッシュフローの確保、次世代の育成をする研修部隊なしに、どうやってフロント部隊が営業に走り回ることができるものか。

 しかし、収益を稼ぐフロントは偉く、オフィスでパソコンに向かっているバックオフィスは格下であるという、会社組織におけるヒエラルキー付けと同じ愚を我々は自分の家庭でも犯している。彼女らは共同経営者として起業に、家庭に参加しているのに、その価値を認められないのだから、「熟年離婚」という形でクーデターが起こるのは当然なのだ。

 そう考えると、「優しい」と呼ばれる草食系男子は、新しい時代の男性像である。彼らは共同経営者になり得るであろう女性の能力を認め、共同経営者として育児や家庭運営にも参加し、妻(パートナーという言い方が正しいだろう)の才能や興味を花開かせることに最大限努力をする。

 にも関わらず、揶揄的に「草食系」などと呼ぶところに、まだ多くを占める世代の日本男性の無理解と馬鹿さ加減がある。男は、自分が体力も能力も落ちてから、妻に媚び始める。しかし、自分が作った大きな溝の存在には気づかない。その溝は後からどんなに埋めようとしても埋まらないのに。そう、自分も含めて、旧世代は世の流れがわかっていないのだ。Out of dateなのである。それいて、会社経営では部下に「新時代に認められるアイディアはないのか!」と会議で声を荒げる。まるで茶番である。

 草食系男子は我々世代の男が理解し得なかったことを理解している。彼らの登場は歴史の必然であった。

《 男はどう生くべきか 》
 私の卒業した高校は、毎年、札幌と東京で同窓会が開かれている。そこでの最も重要な来賓は、「女学校」時代の先輩である。まだ女性の地位が確立しておらず、「女に学問は不要」といわれた時代に女学校で学び、それでも因習的な日本の男社会の中で共同経営者として生きてきた彼女らが大きな拍手と賞賛で迎えられるのがこの同窓会である。

 その意味で、単なる同窓会と違う意味が彼女らにはあると私は考えている。彼女らにとっては、年に一度、自分たちが生きてきた社会的存在意義を認められ、後輩達という社会そのものにも似た集団から拍手を貰う日なのである。

 そう考えると、なんと我々世代の男は「何もわかっていない」ことか。どんなに優秀な起業家、創業者、経営者であっても、その妻は「××氏の妻/奥さん」という名前しかもっていない。彼女らが夫の仕事、家庭の維持で辛苦に耐えがたい苦労をしてきたにも関わらず、である。にも関わらず、「創業者を動かす影のドン」などと、まるで邪魔者であるかのような呼称を彼女らにつける。無礼千万ではないか。

 私の父は職人であり、商人であった。母は決して器用に生きられない父を支え、「左足はゆりかご、右足は内職のミシン踏み、左手は兄の頭をひっぱたき、右手で父の手伝いをしていた」そうである。父の仕事は規模こそ小さいが、規模の大きい成功者の方々の妻と同じ苦労を母はしたのだと痛感する。おんぶ紐で子どもを背負い、「振り分け乳」で店頭に立ち、家の奥に入っては従業員の給料計算をし、支払いが難しければ自分の簡易保険を解約して資金繰りに走ったのが彼女らである。

 なのに、彼女らもまた「なまえをなくした女神」である。創業者(多くは男性)の名前は世間に轟き、毎日、賞賛の声を浴びるが、この女神達にはスポットライトが当たることさえ無い。そして外部の人間でさえ、この女神達の存在に気づかない、いや、気づくセンスさえ持ち合わせていない。気づいているのは、子どもだけである。

 私の父は大変な努力家であったと思う一方で、母の苦労もよく知っている。その母が涙をぽろぽろ流したのは、父と母の共同名義で建てた札幌の自宅が不審火で半焼し、やむなく息子達のいる関東に移り住むため、家を解体・売却した時と父が亡くなった時である。僕はその二回を永遠に忘れないだろう。そして、果たして自分は妻の気持ちが分かっているのかと慄然とする。

 長くなってしまった。

 今こそ、多くの「名前をなくした女神」にスポットをあて、共同経営者として感謝の気持ちを示し、経済的な処遇も行い、社会的存在意義を得て貰うこと、それこそが男連中には求められているのではないか。彼女らが再び「名前」を取り戻すこと、それが進歩なのだと、そう痛切に感じる。

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