大規模な震災から1週間半、辛い思いをなさっている方はまだまだ大勢いらっしゃる一方で、この国というのはなんと辛抱強く、秩序ある人たちで成り立っているのかと将来に希望を持てた一週間半であるように思います。
さて、いつもの余談。
《 オリジナリティを守りにくい消費サービス業 》
米国の有名な投資家ウォーレン・バフェットさんの言葉、「すべての事柄には三つのIが存在する。最初にやってくるのが革新者(イノベーター)、次にやってくるのが模倣者(イミテーター)、最後にやってくるのが愚者(イディオット)である」。なるほど、さすが希代の投資家と呼ばれる方ですね。
消費サービス産業を調査研究していて常に問題となるのは、「多くの産業は(特に製造業は)特許や意匠登録などでオリジナリティを法的に守れるが、流通や外食やサービス産業はオリジナリティをそれができない」ということです。もちろん、アパレルのデザインやロゴ、ブランドなどは守れるのですが、たとえばコートの襟を立てるのか寝かせるのかということは特許になりません。せいぜい、どうやって作れば容易に折れてしまわない襟が作れるか、という製造特許がとれるくらい。
つまり、川上~川下で言うならば、川上である製品開発や生産の部分しかオリジナリティは守れない。だから、何かが成功すると製造業以上のスピードで模倣が始まるのが消費サービス産業です。「元祖」とか「本家」とかの争いが起こるラーメン店は、実はその本質を如実に示している好例なのでしょう。
《 模倣者は革新者でもある 》
しかし、オリジナリティをひっさげてやってきた革新者が常に模倣者よりもエライかといわれれば必ずしもそうではありません。なぜなら、オリジナリティをいじりまわし、こねくりまわすことで、別のオリジナリティを作り上げることもできるからです。
流通業で言えば、本家米国にはなかった食品を扱った日本型GMSや、共同配送システムによってメーカーの商慣習を破壊した日本型コンビニなどがそれにあたります。サービス業で言えば病院で使うリネン類のクリーニングから始まって、最終的には医療関係のビジネスをまとめて請け負うという日本型総合医療サポート業などは「国民皆保険」「医療法人」という日本の特殊性を存分に理解したビジネスです。
かくのごとく、オリジナリティとは一つではなく、常に新しいオリジナリティが生まれるのだという観点からいけば、バフェットさんの言う三つ目のアイである「愚者(イディオット)」は生まれないはずなのでしょう。
《 何でもアリ 》
私の住む街にも多くのドラッグストアがあるのですが、駅近立地ばかりであるため、郊外型のドラッグストアをじっくり拝見する機会を逸しておりました。もともとドラッグストアは必要に迫られていくことの多いお店でもありますし。
たまたま最近、4軒ほど連続して郊外型ドラッグストアを30分ずつ拝見する機会があったのですが、いやはや驚きました。なんといっても楽しい!。繁華街のドラッグストアは女子中高生で賑わっているので、彼女らにとっては面白い店なんだろうとは思っていましたが、男にとってもドラッグストアは、なかなか面白い店です。100円ショップとまではいきませんが、「おぉ、これは便利だ」という商品がありまして、最近は財布の紐を締めている自分もついつい買ってしまいました(手を汚さずにブラシだけで染められる男性用白髪染めだった、というのはナイショです….)。
加えて感じたのが、「これって何でもアリじゃん」ということ。
私はどうしても現在のOTC医薬や調剤薬局制度にはユーザーとして納得出来ないところがあります。OTC医薬を買うときに症状を訴えても店員は的確な商品選択をしてくれた記憶がありませんし、そもそも登録販売者で売れるということは、誰が売ってもほとんど変わらないということです。先日の制度仕分けで方向性が決まったように、通信販売、ネット販売でのOTC販売が認可されるのもそれほど遠い先のことではないでしょう。
ついでに言えば調剤薬局も「医薬分業による全体としての医療費削減」という効果以外には効果はないと思っています。OTCの時と同じく、調剤薬局で処方をして貰った時も聞かれるのはせいぜい「体調はいかがですか?」「お薬が減りましたね/増えましたね」しか薬剤師は言いません。自動ピッキングシステムができれば、最終的な目視確認をする薬剤師さえいればいいのであり、薬の専門家としての薬剤師は1-2人/店で十分でしょう。
また高齢化を考えれば、慢性疾患の老人が処方箋を書いてもらいに行くためだけに病院に行き、長時間待って、三分診療で処方箋を書いて貰い、それから向かいの門前薬局でまた長時間待って薬を貰うという仕組みも崩壊しそうです。
以上のことを考えると、これからのドラッグストアはOTCと調剤薬局を収益源とするのではなく、「OTC医薬」「調剤薬局」「医療関連」という「シンボル」を持った小商圏の「何でも屋」になっていくのではないかと思ったのです。つまり、OTCや調剤で儲けなくても、儲けるのは別のものでいいという割り切りです。
私の母は関東ながらも田舎で一人暮らしをしておりますが、半径500mには店が一軒もありません。そこにドラッグストアが一軒でもあれば、膝が痛いというお袋にとってはコンドロイチンも買えるし、インスタントラーメンやお豆腐やちょっとした野菜も買えるし、孫に会うときにつける口紅も買えます。となれば、CVSにおける「便利」とはまた違った意味での「便利店」としてのドラッグストアという存在が生まれるのではないかと。
《 溶ける業態 》
また長くなると妻に怒られるので、結論を急ぎましょう(笑)。
つまり、オリジナリティは一つではなく、常に新しいオリジナリティが生まれていくのが消費サービス産業である、と。しかし、日本ではどうも業態論とかカテゴリー分けが好きで、自分で自分を枠にはめることが多い。業態とかカテゴリーはつねに顧客のニーズによって変形し、溶けてグニャグニャになり、また新しい顧客のニーズという型枠に合わせたものになるのだろう、と。それを受け入れられない消費サービス業はバフェットさんの言うところの「イディオット」になるのだろう、ということであります。
依然として、「カーグラフィックTV」とか「トップ・ギア」といった自動車の番組を録画しては週末に見るのが好きなのですが、最近の顕著な傾向があります。それは「クロスオーバー」というカテゴリーがやたらと増えたこと。クロスオーバーというのは色々なタイプが「融合」していることを言うのですが、要するに「セダン」とか「ワゴン」とか「バン」とかの従来の分類では分けられない車種がものすごい勢いで増えてきているのです。たとえば、悪路は走行できないけど格好はヘビーデューティー使用の「SUV」とか、日本で非常に流行った商用車じゃないけど多人数が乗れる「ミニバン」とか。このあたりは消費サービス業に非常に似ています。
最新鋭の郊外型ドラッグストアをじっくり拝見して、「ドラッグストアの敵はドラッグストア」という固定観念を持っていると、足下をすくわれる企業が出てくるんだろうなあと強く感じました。そしてそれはどんな消費産業でも同じなのでしょう。