《 デフラグ 》
先日、ITシステムに詳しい経営者の方とお話していて、「デフラグ」という懐かしい言葉を久々に聞きました。これは正確には「デ・フラグメンテーション」の略で、「ばらばらになっている状態(フラグメンテーション)」を「解消する(デ)」ということから、コンピューターのハードディスクの中をきれいに整理整頓することを言います。
コンピューターというのは高度な機械のように見えますが、結構、「チカラ技」でこなしてしまうところがあります。データを書いたり消したりという作業は、データ管理をする「目次」にあたるところだけ綺麗に整頓して、あとは目次から「データがないことになっている場所」に新しいデータを上書きしていく作業です。消去したつもりのデータが後で復活できることがあるのも、この理由によります。
たとえばワープロで報告書を一つ保存しても、それは「データがないことになっている場所」にバラバラに分割されて書き込まれています。逆に読み込む時はこのバラバラのものを読み込んで、元の報告書ファイルに組み立て戻します。まさしくチカラ技。
とはいえ、コンピューターでも限界があります。私が社会人になった頃のパソコンの性能は今の100~1,000万分の1くらいの性能しかなかったので、このバラバラになったところを読み取るのにものすごく時間がかかりました。だから、大きなファイルを扱うのは大変に時間を食う作業だったわけです(昔のパソコンが遅い理由です)。よって、このちりぢりバラバラになったものをあらかじめ一カ所に整頓しておく、これが「デフラグ」です。
「デフラグ」をすると読み込みや保存が早くなることに加えて、機械を動かす回数も減って故障しにくくなるので、一ヶ月に一回くらい「デフラグ」をするのがコンピューターの達人の使い方だったのです。ちなみにデフラグを日本語では「ディスクの最適化」と言います。
《 あえてデフラグしない 》
ところが冒頭の経営者の方にお聞きすると、最近のコンピューターでは、むしろこの「デフラグ」をしない方が良いんだそうですね。なぜかといえば、ディスクで使う部分が偏ってしまって、そこばかり使うことでかえって壊れやすくなるからなんだそうです。
ディスクは普通、円盤の中心部分から使っていく(=書き込む)ように設計されているので、バラバラに保存されたデータをデフラグすると円盤の中心部分にはいつもデータが書き込まれる一方で、円盤の外周部分はほとんど書き込まれなくなります。ハードディスクは昔のレコードのように直接記録用の「針」が当たるわけではないのですが、それでも何度も同じところを書いたり消したりしていれば、そこの部分は壊れやすくなるのはなんとなく理解できるところ。
しかも面白いことに、この現象は機械的にではなく電気的な仕組みでデータを保存する半導体メモリーでも起こるのだそうです。デジカメなんかで使うメモリーカードを想像していただければよいのですが、最近の最近のパソコンにはハードディスクの代わりに、このメモリーカードのお化けみたいなのが入っています。機械じゃないので落としても壊れにくいし、何よりも電子の動きで書き込み・読み取りをするので速度が大変速く、あっという間にファイルの読み書きができます。
ところが、これとても「電子」を動かしてデータを保存するので、同じところばかり使っていると電子の動きが悪くなったり、電子が動くたびに少しずつ焼けてしまって「へたって」くるのだそうです。
だから、「デフラグ」なんてことはしないで、ハードディスクやメモリーの色々な部分を全体的に使った方が、むしろ長持ちするし、コンピューターのためには宜しいと、これが興味深くお聞きした話です。
《 最適化限界点を「見切る」 》
これを伺って私が感じたのは、「組織運営とそっくりだ」ということです。本屋のビジネスコーナーに行くと、ごっそり組織運営や経営論が並んでいますが、その中で多く見られるのが「効率経営」とか「最適な組織」などの単語。なるほど、限られた資源で最大の効果をあげるには、効率性や組織の最適化が欠かせません。これ、ジョーシキ。
しかし、ほとんどすべての経営者がそうしたことに腐心しているのに、あまり突出した成果を上げられているサンプルが多くないのは何故でしょうか?。それはコンピューターのデフラグと同じで、「最適化」をすることが、逆にある部分に負荷をかけすぎて、むしろ全体の効率性の足を引っ張っていることに原因があるからではないかと思うのです。
では「最適化」を一切せずに、野放図にしていてよいものなのか?。これもまたNOでありましょう。「デフラグ」をしなくても良くなったのは、パソコンの処理能力や基幹システムなどが非常に高度になったからです。これらの基礎性能が昔のままであったならば、とても今のような巨大なデータ量を扱うことはできません。「デフラグ=最適化」をあえてしない方がよいのは、そう言えるほど、全体の性能が上がったからだとも言えます。
全体の性能を上げることに腐心はしつつも、それによって過剰な最適化が行われて、壊れてしまう部分が発生していないのか。それを注意深く観察し、意志決定していくのが真の意味での「経営の最適化」であるように思います。どこまで効率をあげて、どこの時点で一度それらを止めて様子を見てみるか。ここで経営者や組織運営者の「嗅覚」「直感」「職人技」が生かされるということなのでしょう。剣の達人がギリギリで相手の刀を「見切る」、そういう技に似ているように思います。