《 息子のタイ研修 》
 息子の通っている学校では、毎年、タイ山奥の少数山岳民族に設立された施設を訪ねて、現地の子供達と交流するというプログラムがあります。息子は一昨年、昨年の二回参加しましたが、二回目の今回は父兄向け報告会が開催されました。

 想像がつくように、タイの少数山岳民族となれば貧困、そしてそれに伴う各種の犯罪が大きな問題です。たとえば人身売買や麻薬製造など。報告会の先生からのお話によれば、生活は自給自足であるにもかかわらず、文明の利器と物欲はどんな山奥にも入り込んでくるそうで、その差額を埋めるための現金収入を得るために、こうした犯罪行為を犯してしまうとのこと。そうしたことによって引き起こされている悲劇は映画化もされた梁石日さんの「闇の子供たち」という本にも詳しいところです。その施設ではこうした犯罪行為を犯さざるを得なかった両親から保護した子供達が安心して生活できることを目指して作られたものです。

 このプログラムはもう20年以上続いているそうですが、そのきっかけは戸邊先生という英語の教師がこの活動を知って、勤務先の学校(=息子の通学先)に何かできないかと問いかけたことから始まったそう。20年間で訪問した学生の数は1,000人近くで、息子もその一人です。

《 開眼した学生達 》
 報告会では引率の先生だけではなく、参加した生徒一人一人からもショートスピーチがあったのですが、いずれも共通していたのは「東南アジアには興味がなかったし、タイの抱えている問題も知らなかった」「行ってみて、とても良い経験だったので是非来年も行きたい」ということ。見た目はあまりシャキッとしているとは言い難い今風の子供達なのですが、やはり現実を見てくるということは非常に大きい影響を与えるのだと感じました。

 中には「農業の道に進んで、タイの農業近代化をやりたい」と話す子もいましたし、「教職になり、タイで教育に関わりたい」という子もいました。聞けば、日本の様々な寄付はほとんどが学校設備などの「ハコモノ」ばかりで、人を育成することにお金をかけていないため、学校の教師のレベルが低いのだそうです。つまり「器つくって魂入れず」。日本の公共工事と同じですね。それを現地で戸邊先生からさんざん聞いて、彼は「教職に就こう」と考えたのでしょう。

《 種を蒔く人 》
 最近「種を蒔く人」の存在が如何に重要であるかを感じます。

 先週の「腕立て伏せする居酒屋」で書いた居酒屋のトイレには、「種を蒔いてもすぐには刈り取れない」という内容の人生訓が貼ってありました。だからこそ、エレベーターを降りてドアがあいたら、1分前にお別れした店員さんがエレベーターの前で腕立て伏せしていて、「なにしてんですか?」「え?、ああ、またお会いしましたね。今日はご来店ありがとうございました。」「あんた面白いなぁ。いやー、楽しかった、また来るわ」という会話が成り立つのでしょう。このきわめて関西風のボケが顧客の店に対する印象を強くしていることは間違いありません。果たして1週間後に来るかどうかはわかりませんが、次に六本木に来たときに店に迷ったらたぶんここに予約を入れるでしょう。

 「損して得取れ」とはよく言われる言葉です。しかし、長引く不況と社会の仕組みの変化のため、あまりにも種を蒔いて短期間で刈り取ろうかという人間ばかりが増えてしまって、これで良いのかと感じることが多くなりました。いや、刈り取るどころか、種を蒔くことは「ムダなコストである」と思う人や企業や組織が増えているように思います。そうした中で、息子の学校でのタイ研修は確実に学生に種を蒔いているすばらしい仕組みだと思っています。

《 種=遺伝子 》
 ただ、残念なことに、私立中高学校は今やユニークな教育方針よりも、まずは大学進学実績がもっとも重要な目標となっているそうです。そのため、今までは頑なに導入を拒んできた「特待生制度」をこの学校も導入してしまいました。と同時に、こうしたタイへの研修や、中国視察研修、日本の農家への労働体験、聖心鍛錬のための登山研修といった行事が徐々にやりづらい雰囲気になっているとのこと。

 これらの種を蒔いたのも戸邊先生なのですが、彼が退職をしてしまってから、その精神が忘れ去られ、行事が形骸化する懸念をもたれているようです。まるで、私がこの「余談」で触れることが多い「創業者の遺伝子をどう残すのか」の議論のようで、深く考えさせられます。

《 戦場のメリークリスマス 》
 私はビートたけしさんが好きなのですが、彼のキャリアで大きな転換点となった最初の出演映画が「戦場のメリークリスマス」という大島渚監督の映画でした。YMOの坂本龍一さんに、イギリスのロックスターであるデヴィッド・ボウイなども出演する異色の戦争映画だったのですが、この映画の原作のひとつは「種子と蒔く者」という、ローレンス・ヴァン・デル・ポストさんの小説。当時、浪人生だった私には「種子と蒔く者」の意味がわからなかったのですが、日本的価値観と欧米的価値観が戦場で交錯し、ぶつかり合い、そしてエンディングではそれが融和するというストーリーは、まさしく「種を蒔く人」であったのだと理解できるようになりました。

 政治を見ても、経済活動を見ても、教育を見ても、すべてにおいて腰を曲げて種を蒔くことを嫌い、促成栽培で刈り取ることだけを考えているのが今の風潮ですが、それに対して、実は冷静な目を向けているのは若い人たちなのかもしれません。また、そうであることを強く望んでいる自分がいます。

 戸邊先生のやっている活動は下記でごらんになれます。きれい事ではない本音の文章が胸にささります。

「チェンライ・メーコック財団だより」
http://www.norththai.jp/ex_html/t/tobejii.php?id_view=1

「日刊チェンマイ新聞」
http://www.norththai.jp/

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です