《 どの税率をあげるべきか 》
相変わらず政治が揺れています。特に最近気になるのが法人減税の論議。「法人税率、消費税率、所得税率の三つをどうするのが国益に繋がるか」の議論です。
ご存じの通り、日本の産業空洞化への危機感から経済団体や経営者は法人減税を強く望んでいます。しかし、一部のメディアや政党は「大企業が優遇されて、個人の生活が脅かされるのは許されない」という主張を持っています。確かに一見すると「企業優遇、個人非優遇」のように見えるのですが、そう言い切ってしまうことに、今ひとつ同意していない自分が居ます。
個人としては「消費税が10%、15%になるんだっったら、節約せねば」という気持ちになりますし、消費に悪影響だという意見も納得できます。しかし、その反面、「企業が日本に残りやすい環境を作らないと、もっともっと産業は空洞化するのではないか」という懸念も捨てられません。では高額所得者の所得税率をさらに上げてしまえば良いかと言えば、「一生懸命稼ぐのが馬鹿馬鹿しい」と思う人が出てきては国の活力が削がれてしまうでしょう。
八方ふさがりに思えるこの議論、果たして、どの道がマクロ経済的には正しいのでしょうか?
《 法人減税+消費税率引き上げ適切 》
先日、公共政策が得意な先輩研究員からこれに関して非常に明確な結論を伺いました。
実際の説明は数式やグラフなどを使ったものだったので、ここで再現するのは難しいのですが、エッセンスとしては、「法人税率を引き下げ、消費税率を上げ、所得税率は今のまま」が一番適正であろうとのこと。理由は至ってシンプル。
(1)円高局面が続く限り、日本から企業や工場は海外に移転し続けるし、少子高齢化で消費も減るから消費サービス業も外国に活路を見いだすだろう
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(2)一方で、円高も少子高齢化も簡単には止めることはできない
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(3)よってこのまま無策だと日本企業は海外に出て行き、「雇用も税収もさらに悪化する」可能性が極めて高い。よって、海外から企業とお金が入ってくるインセンティブを与えなければならない
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(4)一番効果的なのは法人税率を引き下げ、その財源として消費税率を引き上げることである
《 消費税引き上げは個人の生活を破壊しないか? 》
しかし、ここで疑問が残ります。「消費税を増税すると、お年寄りや経済的に困窮している人達がもっと苦しい思いをするのではないか?。所得税の制度を変更した方がよいのではないか?」と。
これに対しても、彼の答えは明快です。「NO!。消費税率を上げて、所得税はこれ以上いじらないのが正しい」。理由は以下。
(1)所得税を増やすために、最高税率を上げたり、もっと低い所得の人から所得税を徴収しようとするのは、全体としては「働いている現役世代からまんべんなくさらに多くの税金を徴収する」のと同じ(これが数式とグラフで説明された部分です)
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(2)しかし、少子高齢化を勘案すれば、「働き手からのさらなる徴収」は現役世代に多額の金銭・精神的負担を強いる
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(3)空洞化で社会に出ても働く場所がなく、見つけたとしても負担が重いのであれば、働き手は希望を失って日本社会は崩壊するだろう
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(4)これを避けるには国民全員が負担する必要がある。それは現役世代だけではなく全員が均等に「消費税率引き上げ」で負担すべき
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(5)生活困窮者への対応は所得再分配(生活保護や食品商品券の配布など)で対応し、事務作業に膨大なコストが発生する段階別税率や扶養・配偶者控除などの救済は避けるべき
彼によれば、「もはや成功した人間から徴収するというやり方での国家運営は成り立たない。みんなで国を支えなければならないのだという考えに基づいて運営を行わねばならない時代になった。」とのこと。なるほど。「最高税率や課税最低所得、控除をいじればいじるほど手間が煩雑になるので、消費税で対応する方がトータルコストは安い」というのも非常に明確です。ただでさえ現役世代が高齢者を支えなければならないのは火を見るよりも明らかですからね。
《 短期的整合性と中長期的整合性 》
ただ、依然として私の胸にはモヤモヤが残ります。それは、「こんな明快でわかりやすい理屈を、彼以外が気づいていないなんてことがあるのか?」ということです。
これへの私の勝手な推測による回答は、「多分、分かっている人は官公庁や内閣、議会にもたくさんいる」です。しかし、仕組みがそれを阻んでいる。それは?。「議会政治」という仕組みです。
議会政治ではまず投票で当選しなくては何もできません。となれば、必然的に「人気投票」的な色彩を帯びてくる。特に十分な情報を持っておらず、感情と狭い知識だけで国民が選択している時は些末なことが当落を決定してしまいます。これが酷くなると中傷合戦になる。今の日本はまさしくそんな感じ。
「中長期的な、日本全体にとってベストな施策」をとるべきなのに、「短期的な、利害関係者にとって良い施策」を取ろうとする力学が今の日本では強く働きすぎている、ということでしょう。そしてそれはキツイ言い方になりますが、1)票集めから始まる政治という仕組みと、2)「正しく考える」という教育が日本では不足している、という二点に着地するのだろうと思います。
《 リーマン本を読みました 》
さてさて、ちょっと話題を変えます。
昨夜、とりあえず今出版されている「リーマン破綻の裏側」的な本は一通り読み終わりました。寝酒を飲むように、チビチビと読み進めていったので、都合2ヶ月近くかかりました。読んだのは以下の五冊です。
・ 東京のリーマン・ブラザーズの会長であった桂木さんの「リーマン・ブラザーズと世界経済を殺したのは誰か」
・ 米国の新聞記者が書いた「リーマンショック・コンフィデンシャル」
・ 早期に危機を察知して内部から警告していた米国本社の手記る「金融大狂乱」
・ 危機を予想して空売りで大きな運用益を得た投資家を紹介する「世紀の空売り」
・ 破綻時の財務長官だったヘンリー・ポールソンさんの「ポールソン回顧録」
私は騒ぎの渦中にはいたものの、どういう経緯で破綻に行き着いたのかを知りませんでした。なので、こうして五つの視点からの本を読むと、平板だった絵が浮き出て見えてきます。その立体図とは乱暴にまとめてしまえば二点です。
ひとつは「レッセ・フェールの名の下に、各自が勝手なことをやってしまい、全体のバランスを取る人がいなかった」という面で、今の日本の現状に似ているところ。ふたつめは、逆に「何とか政府がリーダーシップを取って全体のバランスを取ろうと苦吟呻吟し、結果的にはなんとか繕うことができた」という点で、日本の現状と少々違うところです。くしくも土曜日にクリントン元大統領が「日本のようにはなりたくない」と発言したという報道が載っていましたが、気分はあまり良くないものの、悔しいながら「必ずしも的外れではないかな」という気が致します。
回顧録を書いたポールソンさんはゴールドマンサックスのCEOをしてから、財務長官の職に就いただけに、金融に対する知識の豊富さは極めて優れていらっしゃったようです。そんな彼はプロとして、2007年から危機の兆候が見え始めたことに何とか対処しようとします。
しかし、「部分最適」しか求めない金融業界各社や政治家、そして国民の強い抵抗でうまく政策を進められない。一方、リーマンの中に居た人の中にも危機を感じて、やはり避けようと進言した人がいるし、危機を予期して「空売り」で運用益を出した投資家もいました。しかし、彼らの深い考えが危機を避けることにはならなかったのです。このあたりはさながらサスペンスドラマのようです。
結局、それらの障害が邪魔をして、ベアスターンズ証券や住宅金融公社の実質的な破綻、リーマンの本当の破綻、さらにはモルガンスタンレーやメリルリンチ、AIG、シティグループ、さらにはクライスラーやGMといった、そうそうたる企業が波に飲み込まれかえるのです。ただ誰も気づいていないかったかと言えば、気づいている人はいた。でも、その声は消されてしまった。
「歴史は繰り返す」と言いますが、本当に人間はいつまでも変わらない失敗を繰り返しており、それは突き詰めれば「全体を考えない思惑の絡み合いのせい」と言えるのでしょう。
《 法人減税論議とリーマンショックの共通点 》
さて、現在、日本で論議されている法人税論議とこのリーマンショック。全く違う出来事ですが共通点があります。それは「ポピュリズムに棹さして、全体最適よりも部分最適を優先してしまったことが、最悪シナリオに向かう力になった」ということです。
そしてその危険性を作っているのは実は政治家でも経営者でも従業員でもなく、悪意なき善良な「市民」自身であるということが恐ろしい。「難しい事はわからないからさぁ、分かる人達でうまくやっておいてくれよ」と無責任な丸投げをしていた市民が、イザ何かが起こると鬼の首を取ったように狭い了見と感情論だけで責任者・監督者を責めるという構図。そしてメディアがその尻馬に乗る。なぜならばその方が視聴率がとれるから。「無邪気(innocent)である罪」とでも言いましょうか、そんなことを感じます。
先週、メディアでは盛んに「法人税率引き下げを経済団体が要望した」というニュースを流してました。しかし、どれもこれも判で押したように同じような映像。少なくとも僕がニュースや報道を見ている限り、「何をどうすべきなのか。方策は何があって、どういう長所短所があるのか?」を解説している番組には出会いませんでした。
多分、「何故なのか?」をきちんと流すよりも、主張し、対立するという軸で画像を流す方が楽です。スポンサーも渋くなった今、そうそう小難しい議論をやっているヒマもない。面白可笑しいのが一番だ。そんな考えなのでしょう。日本の将来を考えるための重要なテーマを、芸能ニュースやペットの面白映像と同じ次元で語っていいのだろうかと暗澹たる気持ちになります。
法人減税論議とリーマンショック、国家の危機管理と企業の危機管理、無責任な国民と「無邪気な」従業員、どれも非常に似ているように思いますが、いかがでしょうか。
さて、切れ味の良い解説をいただいた私は先輩にお礼のメールをお送りしました。そうしたら、彼からこんな返信が帰ってきました。 「我々の次の世代が社会に出たときに、働くところも、働く意欲も無くすような社会だったら、私たちはどうその世代への責任を取るのか。あなたはそういうことを考えるために調査研究をしているのだということを心に留めておいていただきたい。」。耳が痛くも、有り難いアドバイスであると感じ入った次第です。