《 利を先回しにした投資銀行 》
先週、暖かい地方に出張したところ、油断をしてしまい、風邪を引いてしまいました。最初は「おや?、喉が痛いかな」程度だったのですが、木曜日の夜に後輩と酒を飲んだのが行けなかったのか(風邪薬と酒の飲み合わせは悪いそうです、ご注意を)、家に帰ることは頭の中がぐるんぐるん回っておりました。おまけに咳が止まらず、昨日の土曜日は完全に「くたばって」おりました。
そんな夢うつつの中でもベッドに入ると本を読まないと眠れないというのは私の癖で、ようやく2つのシリーズを完読しました。一つは「リーマンショックコンフィデンシャル(上下)」、そして「世紀の空売り」。いずれリーマン・ブラザーズ破綻に繋がったサブプライムローンとそれを支えたCDS、CDOという異常な金融商品の本質に触れた本なのですが、読後に感じたことが「やはり人間正直に生きないと破綻する」でありました。「顧客の利が先にあり、自分の利は後からついてくる」というのは日本の商業感を示すのに使い古された言葉ですが、自分が勤務していたところには毫もそんなことを考える人間はいなかったのだとうことにショックを受けています。是非、御一読を。
《 百貨店不要論、問屋無用論 》
さて、そのことを自分の担当である流通業に当てはめると、大変大きな疑問を感じる業態が二つあります。一つは百貨店、もう一つは中間流通業(卸、問屋)です。私は流通業を担当して勉強し始めてから20年を過ぎましたが、その中で、いわゆる「百貨店不要論」「卸無用論」というのが何度も何度も出て来ました。たとえば1980年代バブルが終焉を迎え、急激な店舗稼働率の落ち込みが進んだときに起きた「百貨店バッシング」は強烈なものがありました。ちょうど各種のスキャンダルや不祥事が重なったこともあり、「百貨店の時代は終わった」とさえ言われました。
また「問屋」にしても、その大きな集合体である「商社」もまた何度ものバッシングに去れされてきました。これは本質的なものというよりもスキャンダルでとばっちりを受けたというのが正しいかも知れませんが、ロッキード事件では悪の権化のように言われましたし、さらにその前の林周二先生の「流通革命」の頃は中間流通の存在が日本の国民の効用を落としているのだとさえ言われました。
《 しかし、生きながらえているのはこの二業態 》
しかし、です。いわゆる問屋の発祥は鎌倉時代の組織問丸にあります。なんと800年前のことです。問屋と呼ばれたのは700年前ですから、いずれにせよ、とんでもない昔の事です。
では、百貨店はどうなのかと言えば、三越が「デパートメント宣言」をしたのが1904年ですから、今からおおよそ110年前のこと。しかし、その前進である越後屋は1673年に既に「店前現銀売り」「現銀掛値無し」「小裂何程にても販売」のコンセプトで人気を博していましたから、百貨店の原型としては340年の歴史があります。
そう考えると、佐々木を混乱させるのは果たして近代小売業と呼ばれるここ数十年現れては消えていく流通業と、問屋と百貨店という何度もの「無用論」にさらされてきた流通業と、どちらが社会的な貢献は大きかったのだろうということです。あえて言うならば、5年でパーッと出て来て、次の5年で破綻に向かってまっしぐらのいくつかの近代流通業は所詮は「時代の徒花」ではないのかという疑問です。
《 古いビジネスモデルの長命と新しいビジネスモデルの短命 》
もちろん、それぞれが生まれてきた時代背景も違いますし、世間の移ろい安さも大きく違います。しかしながら、実際に片方は揺らぎながらも数百年組織の生命力を維持してきており、かたや十数年で組織の生命力が尽きてしまうのは何故なのだろうと言うことは私にとっては大きなテーマです。
時にふれてはこの矛盾を人材面や財務面から考えて見たいと考える昨今です。