《 「仕組み」だけで生産性が上がらない悩み 》
 決算発表が一巡したので、再び「全国巡礼」を再開しております。中間決算における共通点を踏まえて、個別に事業会社の方のお話しを伺うのですが、そこでもまた「共通の悩み」が見えてきて非常に興味深いものがあります。

 現在の「全国巡礼」で圧倒的にディスカッションになるのは、「労務コスト」「人材育成」そして「後継者」です。近代流通・サービス業の最も重要な課題が、如何にシステマティックで装備率の高い経営をすることで、労務コストを抑えることであるかは言を待たないと言えます。それが故に、関西スーパーさんが開発したバックヤードからのカートによる品出しシステムから、フォードが開発したタイムスケジュール分析の応用であるLSP(レイバースケジュールプランニング)まで日本の流通サービス業界は貪欲に仕組みを導入してきました。

 しかし、です。その仕組みが必ずしもうまく機能しないという悩みに多くの企業が直面しています。一定の製品を製造するメーカーであるならばまだしも、生身の「顧客」を相手にする流通サービス業では、仕組みやシステムの持つ硬直性、融通性のなさが裏目に出て、むしろ仕組みのための設備投資と、人的資源に対する投資と二重投資になっていることが、むしろ生産性の足を引っ張る理由になってしまっているように、傍目からは見えます。

《 労務コスト削減と人材育成の矛盾 》
 今回の中間決算を見る限り、多くの企業は販売管理費の削減により利益増を達成していますが、その中味は(1)長時間パートを短時間パートに分割することによる労務コストの削減、(2)電力料金値下がりによる水道光熱費の低下、(3)販促費や出張交通費などの徹底見直しによるものです。そして特に効果が大きかったのは(1)であるという声が大勢です。しかし一方、生活のために長時間パートを行いたい従業員にとって、(1)を推奨することはモチベーション(やる気)を削ぐ結果になっているという反省もちらほら聞かれます。

 ここで、多くの経営者が直面しているのは、「労務コストを削らなければならない←→今後を託せる人材を育成しなければならない」という二律背反です。この二律背反に対抗するために、インストア加工が当然であったデリカや弁当などを今後はアウトパックにして行かざるを得まいという決断をした企業もあります。また教育研修を徹底し、単位当たりの生産性をカバーすることで労務コストの実質的な引き下げと人材育成の一石二鳥を狙う企業もあります。いずれも正しい。しかし、いずれも間違っている。そんな印象を、漠然とですが、私は感じます。

《 人のエネルギー源は「存在感」 》
 人は他者から存在感を認められることでしか生きていけない弱い生き物です。逆に自分の存在感を認めてくれるならば、常識的な処遇をしている限りは、二倍、三倍の底力を出してくれることも稀ではありません。しかし、この点を最も理解しなければならない経営者達が、意外と鈍感なのは何故なのでしょう。従業員は自分の存在感が認められることを、口を開けて待っているのです。しかし、そこに存在感というエネルギー源を放り込んでやれる経営者があまりに少ない。

 誤解していただきたくないのは、賃金を下げてもテキトーな誉め言葉を言えば従業員が働く、そんな安易なことを薦めているわけではありません。人を人として、「人間」としてtreat(扱う)してあげなければ、どんなに設備装備率を上げても、近代的なシステムを入れても、結局の所生産性向上には結びつかないのではないかということを申し上げたいのです。

《 労組の要求は賃上げではなく「人間」であること 》
 とある産業別労働組合の「あるべき産業政策」についての論文を見せていただく機会がありました。それは1章から5章にまで渡る100ページ近い大作なのですが、私の心を一番打ったのは最初の数ページ目にあった一枚の図表です。0章(ぜろしょう)というコンセプトページで、そこに描かれてる「政策の全体図」の中心にいる主体が「従業員」でも「労働者」でもなく、「人間」であったことです。

 私は大学で近代経済学のゼミで学んだのですが、個人的にはマルクス経済学の思索的な側面の方が人間くささがあって好きでした。私はいわゆるサヨクではないのですが、しかし、時々ふっとマル経で出て来た言葉を思い出します。たとえば今回のテーマであれば、「人間疎外」。

 「疎外」とは本来の主客が逆転して、人が作り出したモノに人が支配されてしまう現象を言います。さしずめ流通サービスで例えるならば、物々交換から始まった流通サービスを貨幣という便利な道具によって発展し、人を便利で幸せにするはずだった仕組みがいつのまにか一人歩きを始め、「生産性」という言葉のもとに人間の存在性を矮小化させ、人間をスポイルし始める…….こんなところでしょうか。そしてその時の「疎外」を促進させるものはいわゆる「資本家」などではなく、「顧客」という具体的なようでいて抽象的な怪物である…..というのが流通サービスによる「人間疎外」の恐ろしいところです。

 労組というと多くの経営者と一般の方はあまり良いイメージを持っていないように思います。それは日本が戦後の混乱期から立ち上がる時に行われた多くのストライキによるものであったり、60年安保・70年安保といった政治活動であったり、自己努力の少なさを「搾取」という言葉に置き換えてナマケモノを増やすことに荷担していたりする印象があるからでしょう。

 しかし、その労組が「人間」を中心に据えたあるべき産業絵図を書いていることに私は驚きましたし、そこまで切羽詰まっている状況を真正面から私たちは直視しなければならないように思います。つまり、賃上げや福利厚生の充実、人事評価の方法論などを議論の中心に据えてきた彼らが、今行き着いた最も重要なテーマは「人間」だったということです。それほどに日本の産業というもののあり方がずれてきているということなのでしょう。

《 如何に「志」を継いでいくか 》
 冒頭に申し上げたように、「労務コスト」「人材育成」「後継者」が経営者の共通の悩みです。しかし、一方で、従来は賃上げや処遇交渉が中心課題であった労働組合が求めているモノは「人間」らしく生きる生き方である。この共通しているようであり、矛盾しているようであることを、どのように解決していくかに目を向けない限り、企業の「志」や「社会的使命」を継続させていく人財は容易には生まれ得ないのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です