《 荒海 》
 政治が迷走する中、各種の経済指数は方向感無くまちまちな数字を示しています。ただ、はっきりしているのは、内需主導こそ次の日本を救うと言われながらも、国家も個人もバランスシートは傷んでおり、また雇用の先行きを考えると容易に消費支出を増やす訳にはいかないことです。「縮み志向」、そんな言葉が老若男女を問わず働く人々の心を蝕んでおります。そして、その影響は社会情勢を敏感に感じ取る学生などの若年層にも影響をもたらしています。

 こうした異常事態の中で「ビジョンを持った経営が必要」と叫ぶ書店のビジネス書コーナーのタイトルはなんとも無力に、無意味に思えてきます。ビジョンを持ったとしても、それ以上に外界の制約条件が多すぎて軌道修正を毎日しなければ乗り切れない荒海。そういったところを航海している経営者には、失礼ながら「脳天気」な本にしか見えないというのがホンネではないでしょうか。

《 短期のタテマエ、長期のホンネ、確信犯 》
 前にも「余談」でお書きしましたが、私が高校時代に最も影響を受けたのは坂口安吾さんの「堕落論」、そして五木寛之さんの「風に吹かれて」でした。前者は敗戦の廃墟の中で「神国日本」の幻想が敗れた中、とにかく徹底的に生き抜け、そのためには堕落するという覚悟が必要であると述べる迫力ある評論ですし、後者は「私はいつもデラシネ(根無し草)でありたい。頼るものがある人生にどれほどの意味があろうか」と語る随想です。

 180度違うように見えるこの二つの書物に、しかしながら、共通しているのは、佐々木風に言わせて貰えば「短期のタテマエ、長期のホンネ」であります。

 長期的には人は時代の方向性を見極めてそこに船を進めなければなりません。その目的地はもしかすると、自分の経営する企業も統合再編に飲み込まれていくという冷徹な世界なのかもしれない。でも、そこから目をそらしてはいけない。しかし、一方で短期的にはまずは生き残ることです。当面はなんとかやっていけるのであれば、まずは「足と手を血に染めて堕落の底から這いずり上がること」でありましょう。そのためには、多少、それが誇張が含まれていたとしても「タテマエ」を語りながら、なんとしても企業継続を続ける事なのではないかと思います。

 「確信犯」、これもまた佐々木は最近よく使う言葉で有ります。多少の嘘や誇張を含みながらも、「長期のホンネ、短期のタテマエ」に向かって進むならば、「嘘も方便、ところによって嫌わず」ではないかと腹を決めること。今の時代は「確信犯」になることが求められているのだと考えます。

《 長期を見据えた上での短期視点 》
 私は勤務先で産業企業分析と、それにともなう資金調達や合併統合、業務資本提携ということを考える立場におります。「長期的」にはこれだけの企業が国内市場だけで生き残るのは難しく、統合再編の波を避けることができないでしょう。必ず、どこかの企業が死んでしまうか、飲み込まれるでしょう。残酷な話ですが、それが事実です。

 しかし一方で、その再編淘汰が明後日来るのかと問われればNOでしょう。まだ誰が決定的な強者なのかが確定していない段階なのですから。逆に言えば、自社が強者になり得る可能性もゼロではありません。現に「ええ?、あの企業が?」というような企業のトランスフォーム(変身)を多く見てきました。任天堂さん然り、タカラトミー然り、ファーストリテイリング然り、日産自動車然り、……ただ、我々が「情報洪水」の中でまるで何十年も昔からこれらの変身企業がずっと今の姿だったと思い込まされているだけの話です。

 となれば、まだチャンスを得る時間は残っています。ならば、「うちは諦めない」というタテマエを通しても良いのではないでしょうか。そのためにはカネもいりますし、人材育成も必要です。であるならば、カネとヒトに力を入れて、もう一勝負挑むのもアリではないかと思っています。

《 エクイティ調達コストは本当に高いのか? 》
 こんなことを書くのは元・アナリストとしてはまずいのかも知れませんが、企業財務の内部に関わる仕事をして違和感を持っていることが一つあります。それは「既存株主の利益の希薄化が起こり、資金コストの高いエクイティ調達をするのはイケナイことだ」という理屈です。しかし、本当でしょうか?。

 確かに利益が一定ならば時価発行増資や転換社債といったエクイティもので資金調達するのは既存株主の持ち分利益を薄めます。うん、確かにいけない。しかし、それによって成長できるならば、もしくは高い資金コストの調達を借り換えられるとしたならば、それは愚行では無いように思えてならないのです。

 しかし世のアナリストや投資家はこう反発するでしょう。「低金利の借入金が借りられる時代に、いつまでも多額のキャッシュを持っている方が遙かに罪であり、ましてや理論上では高い資金調達コストが発生するエクイティもので調達するなんてとんでもない」と。

 であれば、逆に問いたい。2008年のリーマンショックを経て我々は何を学んだのか、と。「必要としない時には資金調達は容易だが、切羽詰まって資金がいるときの資金調達は極めて難しい」ということです。逆にいえば、「手元にギリギリのキャッシュしかなくても、貸し手がいつでも貸してくれる」という幻想を2008年まで我々は抱いていたのです。脳天気極まれり!。これぞバブル思考の究極です。1991年にバブル崩壊という手痛いしっぺ返しを食らっていたにも関わらず、我々は欧米中東発信のバブル思考に洗脳されようとしていたのです。

 いまだに「現金持ちすぎ」批判を決算説明会でブチかます方がいらっしゃるのですが、僕は頭を抱えてしまいます、「わかってねぇよー、こいつ」と。だって、彼の思考は2008年で世界が変わったことを理解しない、時代遅れのものなのですから。そもそも「倒産」は赤字で起こるのではなく、キャッシュのショートで起こるということを理解していないのでしょう。典型的なP/Lしか見ない人です。「バランスシート不況」の恐ろしさの根源を知らない人が投資家をしていて、そこに私の年金運用が任されているのは我が家にとってかなり恐ろしいことであります。

 また、エクイティは資金調達コストが高いというのは理論的には正しい。借入金のコストは金利です。金利が安い今の時代、借入金のコストが安いことは認めます。で、エクイティの資金コストは近代経済理論では下記の式で計算します。

  {長期国債の金利+株式を持つリスクに望む対価×株式市場全体に対するその企業の株価の感応度}

翻訳すれば、「株式資金コスト=安全なリスクのない債券の金利+ある企業の株を持つリスク」ということです(株価が下がったり、倒産しちゃうリスクをコミコミにしている、ということです)。

《 誰がリスクプレミアムとベータを決めるのか 》
 うむ、なるほど理屈や良し。しかし、長期国債の金利はよいけれど、「株式を持つリスクに望む対価」や「その企業の株価感応度」はどう測定するのでしょうか?。

 前者は「リスクプレミアム」、後者は「ベータ」と呼ばれますが、実は、両方とも一定期間と一定条件を決めて統計数字から近似するしかありません。一般的にリスクプレミアムは3%くらいと言われていますが、ゴールドマンサックス証券のキャシー松井さんという優秀な分析家は「日本ではリスクプレミアムはゼロね」と仰いました。つまり、「日本では短期の株価の上下だけに興味を持って株式を保有する人が大勢で、株を持つリスクなんて考えて株を保有する人なんていない」、ということです。

 なるほど、日本の投資家は一部を除けば、短期の値上がり値下がりを待つだけの人々ですし、だからこそ、配当というものにそれほど企業側が気を使わずに済んでいるという局面があります。これらを総合すると、今や禁句ではありますが、「エクイティ調達のコストはゼロだぁ」という古い考え方もあながち間違っているとは言えないのかも知れません。なぜならば、借入金の金利は実際に支払わなければならない金利ですが、エクイティのコストは実際に支払わなければならないものではなく仮定に基づいた「机上の計算」でなされるものだからです。

 もちろん、だからといって、「ばかすかエクイティ調達をしましょう」と安易に薦めるつもりはありません。「短期のタテマエ」でいえば、「エクイティ調達のコストはゼロだから時価発行増資しました」などと言えば大ブーイングを受けます。株価は劇的に下落するでしょう。しかしながら、「長期のホンネ」では、やはり短期的にはエクイティ調達のコストはゼロである一方、長期的には「国債金利+リスクプレミアム×ベータ」で計算される資本コストを超えるような収益性が必要とされているのだと頭の片隅においておくこと、それこそが正しい「確信犯」のあり方ではないかと思います。

《 割り切って参りましょう! 》
 随分と乱暴なことを書いてしまいました。あくまでも個人の意見としてご了解ください。ただ、この複雑怪奇な世の中、どういう理屈とどういう理屈があって、それをどう組み合わせて生き延びていくかという割り切りは絶対で必要であろうと。そしてその割り切りが出来る企業や人を「確信犯」という名誉ある呼称で呼びたく思っております。

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