《 情報断食のススメ 》
今日の結論は「情報過多がかえって本質を見えにくくしているように思うので、「情報断食」をしてみてはいかがでしょうか?」ということであります。
《 机上に堆積する新聞と雑誌 》
実は私も情報過多でワケがわからなくなっていた一人でありました。というのも、以前は株価のウリカイをレポートを書くという意味での証券アナリストでしたので、重要な記事を読んでいないというのは業務に差し障りがありました。それで、新聞は日本経済新聞、日経金融新聞(今は日経ヴェリタス)、日経産業新聞、日経流通新聞、日経ビジネス、週刊東洋経済、週刊エコノミスト、週刊ダイヤモンドとほぼひと揃いを自費で購読していました。
ところが、これだけのものを購読していると、とても読み切れないのですね。だから新聞四紙もって会社にいくものの、通勤電車の中でざざっと目を通した(特に一面記事)だけで、オフィスに到着しちゃいます。で、朝の営業マンへの報告会、機関投資家への電話、アシスタントへの仕事の指示といった朝の作業をこなすともう9時過ぎですので、企業訪問やら機関投資家へのプレゼンやらに出かけたりしちゃうので、新聞は読みさしのまま放置状態。毎日そんな調子ですから、新聞が堆積して堆積岩になっていきます(笑)。
経済雑誌はもっとひどくて、土日は海外出張に行っているか、家で「くたばっている」かのいずれかなので、ページを開く気にもなりません。で、こちらも堆積岩状態。ところが、事業会社や機関投資家から「佐々木さん、あの記事どう思う?」などと聞かれることがありまして、慌てて駅のキオスクで雑誌を買ってそのページを読むなんて言う状況でした。まぁ、オカネ的にも情報的にも全く無意味な状況でありました。
《 大決断! 》
で、昨年の秋に引っ越しをした際にずっと考えていた一つのことを実行しました。それは妻が読む一般紙以外は、全ての購読を打ち切ったのです。妻から「古紙回収に出すのが大変だからどうにかして!」という悲鳴があったのも大きかったのですが、これらの購読からの脱却をしたら本当に困るのだろうかと試してみたくなったという理由の方が遙かに大きかったのです。
結果は?。全く業務に影響はありませんでした。それも恐ろしい程、全く!。ごく稀に同僚や事業会社の方から「あなたさん今日の××という記事、どう思います?」と聞かれることはありましたが、正直にまだ読んでないことをお伝えして、記事の内容を聞いたうえで精一杯の知識で答えれば、おおよそ恥はかかないで済んでいます。
最初は、人事異動や訃報などの情報がわからなくなった時に失礼をしてしまうのではないかという不安があったのですが、それも勤務先で使っている情報端末を見れば問題ナシとわかりました。ということで、あえて言えば日経新聞の「私の履歴書」と文化面(日経新聞の文化面は非常に面白いですね)が読めなくなったことだけがデメリットでしょうか。
ちなみに一面記事に関しては、月間315円払えば日本経済新聞社のiモードニュース配信が読めますので、それを通勤電車の中で見れば済みます。それ以外のニュースは移動時の暇つぶしに、iモードでヤフーニュースを見ればたいていのことはわかりますので、困ったことはありません。「なるほど、新聞の購読率が下がるわけだ」と納得している次第です。
《 量の代わりに濃度を手に入れた 》
あれから9ヶ月くらい経つのですがふと面白いことに気づきました。それは一個一個の情報とか伺ったお話について、時間をかけて考えるようになったことです。情報が次から次に入ってきたときは、一個一個の情報に対する認知というか認識が「薄く」なっていました。大げさに言えば、「情報の使い捨て」状態です。しかもその情報には色々な方からお聞きした貴重なお話しも入っているわけですから、今思えば随分ともったいない話です。それを使い捨てせず、なんども咀嚼し、時には関連業界を担当している同僚とディスカッションすることで一個一個の情報に対する彫り込みが深くなりました。
ノートの使い方も変わりました。以前からもちろんノートを持って取材には行っていたのですが、「読み返す」ということをしませんでした。いや、出来ませんでした。なぜならば時間がないからです。それが、一定のフォーマットを決めてノートを取るようにし、必ず同じ業界や似たような環境にある企業の過去のノートを見直すことで、色々な業界や経営の「共通項」を発見できるようになりました。以前はリュック型の鞄にノートパソコンから携帯端末から書類から何から何まで詰め込んで歩いていたのですけど、今、持って歩くのは一冊のノートだけです。
食べ過ぎは体に悪いように、情報の取り過ぎもよくないようです(私が言うと全く嘘っぽく聞こえてしまうのが難ですが….)。粗食とかプチ断食でお腹をたまに干すと体調が良くなるように、情報断食も結構よいことかもしれません。そういえば、海外IRの際は経営に関わる緊急電話と売上日報以外は一切のコンタクトを絶つCEOがいらっしゃいました。その代わり、自分が日頃読みたい本を買い込んでお腹いっぱい読みあさり、眠たくなったらさっさと寝てしまうのです。あれは国内にいては出来ない情報断食だったのかもしれませんね。
《 みょうじゅ、たなごころにあり 》
毎日、洪水のように流れてくる情報を気にしていると、どうしても他社とか他業態、他業種のことが気になります。で、経営であったり、担当部門を任されている方々はそういう情報がバラ色に見えます。前にも書いた「隣の芝生は青い」ですね。自分の領域が順調な時であればそういう刺激も良い薬なのですが、不調な時はついついそちらの方にフラフラと惹かれていってしまいます。一番、まずいパターンです。その意味でも情報断食をして、自分の部下とか取引先とか商品とかだけ徹底的に見るという時間を作るのは重要かも知れません。
かく言う私もデカイ体の割に気が小さく、仕事の方向性でフラフラと腰が定まらないところがあり、何年か前に精神的に追い詰められたことがあります。その時に、ある「禅」の名言集の中の「明珠在掌」という言葉にガツンとショックを受けたことがあります。「みょうじゅ、たなごころにあり」と読み、「宝物は既にあなたの手の中にありますよ。あなたが気づいていないだけですよ。」という意味の言葉です。
人間というのは弱いもので、色々な情報を聞き、ああでもないこうでもないと人から言われると迷ってしまい、もっと別なところに凄いモノがあるはずだと思うようになります。しかし、「何を迷っているんだ。あなたは既に手のひらの中に、すごい宝物があるじゃないか。」というこの「明珠在掌」という言葉を知ってから、少なくとも迷うことは減ったように思います。
情報断食は「明珠在掌」を知る一手段なのかもしれませんね。
結局コンパクトには収まりませんでした(苦笑)。スミマセン。