《 三つの共通点 》
先週、先々週と出張続きでありました。しかし、四捨五入して50歳というのは体力の変わり目なのでありましょうか。以前は全然平気だったのに、最近は乗り物に長時間乗ると足がむくみ、腰痛が出ます。うーん、情けない。とはいえ、色々なエリアの色々な企業の現況についてお聞きできるのはとても得難い経験です。今回は特に成長、もしくは新たな方向性にシフトしつつある企業のお話しを伺う機会が多かったのですが、その中で非常に共通した三点を見つけることができたことは有益な出来事でありました。相変わらずの独断と偏見ですが、まとめるとこんな感じです。
(1)成長は一次直線で右肩上がりでは伸びない→必ず階段状の踊り場がある
(2)成長・拡大のために雇用した「ヒト」が、むしろ無駄な仕事を作り出して効率を悪化させる
(3)効率改善のための分業化が事業の本質を見失わせる
《 踊り場を恐れることが一番怖いこと 》
(1)は経験的に知られていることではありますが、一定の法則があるように思われると感じたことがササキにとっては新鮮でした。それは、1)店舗数だと50の倍数ごと(つまり50、100、150….)、2)売上だと100億円、300億円、500億円、1,000億円、3,000億円、5,000億円というレベルごとに、なにやら踊り場というか屈曲点が来るということです。
で、なぜ店舗数が50の倍数なのかを考えたのですが、これは「経営者が一週間一店舗の店舗を訪問する」というペースから出てくる者ではないかということです。年間52週ですから、経営者が現場を一週間に一店舗チェックにしに行く企業ならば50店舗までは組織経営しなくても、オーナーの指導でやっていけるのではないかと思います。しかし、様々な本部業務を考えると、だいたい一週間に見に行ける店は2-3店舗というところではないでしょうか。特に遠くにまでドミナンスを広げている企業だとそれすらも無理です。ということは3×50週=150店舗が「自分の目の届く段階」ということになるのかなと。仮に食品SMで売上高13億円くらいとすると3店舗×50週×13億円=200億円ですから、これは上記の売上の踊り場に近いところがあるなぁと。おっと、もちろんこれは極めて「ドタ勘」的な話であります。
そして意外なのは、こういう踊り場が来ることは事前にわかっているはずなのに、いざ踊り場が来たときに結構慌ててしまう経営陣がいらっしゃることです。で、やり付けないことをやったり、コンサルの意見を聞いたりして、かえって混乱を拡大してしまう…..なーんてことも多いように思います。しかし、踊り場が来ても淡々とやるべきことをやっていれば次のステップが見えてくるのでしょうから、バタバタするのが一番マズイのでしょうね。
《 効率改善の掛け声がヒトに余分な仕事を作らせる 》
(2)は消費産業だけではなく、全ての産業企業に言えます。成長・拡大のために「ヒト」を増やすのですが、この「ヒト」がかえって無駄な仕事を増やすのです。たとえば一人で出来ていたことを、相互チェック体制を作るためとか作業量の増大に対応するために複数名の人員配置することで、一時的に効率は改善します。しかし、(1)で述べた踊り場に来て稼働率・売上が伸び悩んだときには、この増やしたヒトがいるがゆえに余計な作業とかルールを増やしてしまうのです。一番多いのは、「情報共有」の名の下に、ミーティングや報告作業がやたらに増えていくというパターンです。一方、合議制は責任を回避する一番良い「道具」ですから、効率改善の責任を取る人物が曖昧になります。こうして効率がどんどん悪化していくという悪循環にはまっていくのです(このへんの実例はNHKでやっている「サラリーマンNEO」というコメディをご覧下さい。見事に「ヒトが仕事を作る」の典型がユニークなコメディとなっています。)。
余計なことを一つ言えば、私の最大の懸念はJ-SOX導入であります。米国SOX法の金融関係の不正監視というのはわかるのですが、これをJ-SOX法として事業会社の事業運営監査にも適応するというのはちょっと…..と思わなくもありません。完璧な監査システムはありませんから永遠に監査システム改善のコストはかかり続けるでしょうし、何よりも意志決定のスピードは鈍化するでしょう。これなぞは「ヒトが仕事を作る」ではなく、「コンプライアンスという錦の御旗が仕事を作る」というところでしょうか。
《 本質にベールをかける分業化 》
最後に(3)ですが、組織は大きくなれば必然的に分業化をせざるを得ません。自分で材料を仕入れて、調理して、客に供して、感想を聞き、会計をして、お見送りするという外食の作業も、近代外食産業ではすべて分業されます。それはフォードが自動車を作り出して以降、当たり前のことなのですが、全体の流れをトータルで見る人物とそれをeducationする人物がいなければ、従業員は単に時間の切り売りをするだけという世界になって言ってしまいます。多分、これが流通や外食、消費サービスと言った産業で「創業者」が重要な役割を果たしている理由なのでしょうね。同族経営というのは悪しき意味合いで使われる事が株式市場では多いのですが、ササキは必ずしもそう思いません。全体を俯瞰して、部分最適を全体最適にできる「絶対権力者」として創業者、もしくは創業者一族というのは非常に強みを持つと思います。
先日、ある方がこんなことを仰ってました。「当社はまず卸売市場に早朝から行って、収穫状況や価格動向を確認するということをしている。しかし、それをしなくてもバイイングが出来る仕組みを提供する業者がおり、それに乗せられている同業他社がたくさんある。効率だけを考えれば、そうした業者に頼るのがアナリスト的には受けるのだろうが、自分で仕入れて自分で売るというのが小売業の原則である以上、どこかでしっぺ返しを受けるのが怖い。だから、アナクロと呼ばれようと、当社ではまず卸売市場に行って現物を見ることから始めさせる。」と。分業をさらに究極にしたものがアウトソーシングです。確かに効率は良いけれども、本質的なプロセスがブラックボックスになってしまうのは極めて怖い事であります。一方で、内製化はその意味で、効率性を落とすこともありますが、事業をシンプルにわからせるという点では圧倒的な強みがあります。「効率と全体感の認識」、それをどうバランスさせていくのかが腕の見せ所なのでありましょう。
《 不連続創出のススメ 》
ただですねえ、こうは書きながらもこうした状況を批判できる立場にササキはおりません。私の属する金融業界も「ヒトが仕事を作る」の最たる状況になっております。特に知人から聞くと、ここのところ非常に増えた金融業界の合併会社における「ヒトが仕事を作り出してしまう無駄」は筆舌に尽くしがたいものがあるようです。しかしこれを容認し続ければ、企業も経営者も従業員も共倒れになることは火を見るよりも明らか。となれば、結局はどこかで「不連続」な断層を意図的に作り出すことが経営者の役目なのかも知れません。当然、そこで断層に落ちて命を失う人も出てくるのでしょうが、万人に良い顔はできません。そう考えると、ササキはおおよそ経営者にはなれる器では無いのだなあと痛感いたします。
今日も「龍馬伝」を見てから、このメールメッセージを書いているのですが、先週からチラチラと姿を現していた新撰組がついに池田屋事件で完全に登場しました。私にとって2004年の大河ドラマの「新撰組!」は非常に面白かった作品の一つであったが故に、新撰組がどちらかというと不気味な人斬り集団として描かれている「龍馬伝」には軽いショックを受けました。しかし、物事には色々な見方があるのは当然。右から見るか左から見るか、それとも下から見るか上から見るか、その多面的な見方を持ち、思い込みだけで判断してはならぬのだなあということをつくづく感じる二週間であります。