《 龍馬伝にはまる 》
ただいまわが家では「龍馬伝」がマイブームであります。今は「ハードディスク付DVDレコーダー」という便利なものがあるおかげで、8時ぴったりにテレビの前に座らずとも、ゆっくりと日曜日の夕食を楽しんで、皿洗いも終えてから妻と二人でテレビ前に陣取り、45分間の至福を味わいます(残念ながら日本史フリークである息子は、どういうわけか大河ドラマを見ません…何故でしょうね?)。
NHKが総力をあげた新カメラシステムの画質と音質が今ひとつ好きになれないという欠点はあるのですが、福山雅治さんの坂本龍馬はもちろん、武知半平太、岡田以蔵、平井収二郞、千葉道場の面々、乙女(龍馬の姉)、山内容堂など、脇役がみな素晴らしく、「坂本龍馬はあんなに男前じゃないだろうが」という批判を退ける面白さです。
特に武知半平太役をしておられる大森南朋さんの演技は凄みがあり、志に反して崩壊していく土佐勤王党の党首を見事に演じておられます。調べてみるとお父上は状況劇場の麿赤兒さんでした。うーん、なるほど。唐十郎さんの赤テントと言えば、全共闘世代にとっては涙ものです。ちなみにどんな役をやっても上手な岩崎弥太郎役の香川照之さんは三代目市川猿之助さんと浜木綿子さんのお子さん、乙女役の寺島しのぶさんは尾上菊五郎さんと富司純子さんのお子さんですから、日本の演劇会の至宝と言える方の二世が勢揃いしているんですね。やはり脇役が芸達者なドラマは何を見ても面白いです。
《 今も昔も「風読み」が鍵 》
で、今日の回はまことに味わい深い内容でした。山内容堂に支持されていると思っていた土佐勤王党がその後ろ盾を失い(というか、ハシゴをはずされ)、武知半平太たち土佐勤王党が孤立。一方、朝廷に幕府が約束した文久2年5月10日の「攘夷決行」も、幕府の政治判断で結果的には長州藩のみが独断で商船を攻撃したという形になり、今後、禁門の変、長州征伐、高杉晋作の騎兵隊の登場、薩長同盟、無血開場となっていくわけで、まさしく歴史の分岐点の一つです。
そんな中、今日の極めつきの台詞は近藤正臣さん演じる山内容堂が高知城で酒を飲んで戯れるシーンを背景に、ナレーションが語った「容堂は時代の風向きに敏感であった」という一言でしょうか。この「近藤」容堂はあくどさの権化のように描かれていますが、なるほど確かに彼の時代の風の読み方は後年考えると素晴らしかったわけで、実直さで土佐一国を手に入れた山内一豊の子孫だけあるなと感じさせます。我が愚息の世代でも「空気が読める/読めない(=KY)」という言葉があるように、風を読むということはどの時代になっても重要なことなのですね。そういう意味では、武知半平太は残念ながら純粋ではあるけれど「KY」であったわけで、容堂の空気を読む力には遠く及ばなかったということなのでしょう。
《 魔法の言葉「規制緩和」 》
その観点から行くと、ビジネス界においても「KY」な企業がまだまだ多いと感じることがあります。最近、特に感じるのは「規制緩和」という言葉に関してです。「規制緩和は善であり、ビジネスチャンスである」というのは米国によってすり込まれた洗脳であると私は思うのですが、どうもいまだに規制緩和というと「これは宜しきこと。我が社も勝機アリ」とばかりに小躍りする経営者がいらっしゃって、少々困惑します。
この【余談】の3月20日号「潰しゃいいんだよ、潰しゃ」でも書きましたが、規制というのは参入障壁を作ることです。よって、規制されている業種(=規制業種)は新規参入してくる企業がありませんから、高い収益性を維持できます。身近なところでは小売業も1990年代の日米構造協議で大店舗法の内容が緩和されるまでは規制業種だったわけで、だからこそ、大手組織小売業は高い収益性を確保できたわけです(その分、バブルな投資や本業外に手を出しすぎて自滅してしまったところもあったわけですが)。
しかし規制が緩和されると、その高い収益性を目指して新規参入する企業が出てきます。必然的に競争激化によって高い収益性は下落していきます。まぁ、しばらくは惰性で相対的に高い収益性が続きますし、そもそもその事業をやっていなかった新規参入組はこの事業の収益が既存事業の収益にプラスアルファされるのいいんですが、ふと気づいてみると昨対でもさほど収益が伸びていないことに気づくときが来ます。そしてその時は手遅れとなっていることがあります。業界全体が過剰能力になっているため、多少の商品差別化をしても、コスト削減をしても、容易に収益性は上がりませんし、逆に投資の償却負担や減損が出てきて、予想外の苦戦を強いられます。このあたりは2000年の大店立地法で小売業に何が起こったかを考えればわかることでありましょう。
《 「改正薬事法」で医薬販売の収益性は低下へ 》
最近の例では「改正薬事法」がこれにあたると思います。「ドラッグストアに未来はある!」とばかりに、ドラッグストアの買収を望む企業が急拡大しているとメディアは報道しています。これはこの「改正薬事法」により参入障壁が下がり、医薬品販売業が持っている超過収益を手に入れることが出来ると考えている企業が増えているからでしょう。確かに少子高齢化社会の中で市場が増えそうなのは医薬品市場ですし、規制緩和で新たな収益源を手に入れられるのではないかという経営者の気持ちも痛いほどわかります。
しかしながら、「改正薬事法」により薬剤師ではなくても販売登録者が二類、三類のOTC医薬品が販売できることは、既存のOTC医薬品販売を手がけてきた企業の市場シェアを間違いなく侵します。また、最初こそ販売登録者も数が少なく、薬剤師が六年生になって二年間は卒業生が出てこないことから一時的に医薬品販売者の数が逼迫するにしても、じきに余りだすでしょう。現在、販売登録者に出す手当相場は5,000円ですが、これが低下することは必至です。そしてこのことは、人件費コストダウンにより利益をもたらすというよりは、さらに新規参入者を増やす方向に作用することでしょう。
たとえばコンビニエンスストア。24時間・365日医薬品を販売するのに必要なシフトは五人ですから、5人×5,000円=25,000円が月間の医薬販売に必要な人件費。一方で日販は6000~10000円ですので、少なく見積もっても月販18万円。粗利益率45%として8.1万円の粗利益-2.5万円の人件費=5.6万円の営業利益が店舗利益に乗ります。薬を置くべき雑貨の棚はコンビニの中でも最も効率の悪い棚ですから、収益商品をよける必要もありません。おまけに鎮痛剤も風邪薬も消毒薬も一種類と決めて、メーカーからその見返りのリベートを貰えば在庫買い取りというリスクも本部仕入れですし、ヘッジできるでしょう。仮に日販6000円のOTC医薬販売を大手コンビニ5万店で行った時の年間販売額はおおよそ1100億円。日本で一番OTC医薬品を販売するドラッグストアの誕生です。今後はコンビニエンスストアがその資本力と、教育力、そして加盟店への利益というメリットを武器に、本格参入するのではないかとわたしは睨んでいます。
《 今は医薬販売業は「売り時」 》
こうして考えて見ると、中堅のドラッグストアがすべきことは「買収の買い手」に回って企業規模を拡大することではなく、むしろ事業に見切りをつけて「売り手」となることであると思います。まだ医薬品販売に幻想を抱いている企業が多い今ならば、企業も高く売却できますし、従業員の雇用も確保できます。しかし、これが遅れれば遅れるほど、企業売却の価格は下がり、従業員の雇用や割増退職金の確保も出来なくなることは他の多くの産業が示しているとおりです。
依然として薬剤師しか扱えない「医療用医薬品」を販売する調剤薬局はこの限りではありません。しかしその代わり、調剤薬局には薬剤師を雇用し続けられるだけの処方箋枚数と単価を維持しなければならないという制約条件がつくわけで、OTC医薬販売以上に難しいビジネスであると言えます。
《 目くらましを受けずに風向きを冷静に読みましょう 》
「規制緩和」は魔法の言葉で、この言葉を囁かれると、将来がすべてバラ色に見えてきます。その意味では「攘夷」と同じでしょう。人を酔わせる効果のある言葉ですね。しかし、その言葉の正確な意味を理解しないで叫んでいるとしたら?。これは極めてリスキーなことです。何度も言いますが、日本の産業史において、また世界の産業史において、規制緩和によってその産業に属する企業の収益性が上がったというのは圧倒的な勝ち組企業以外あり得ません。
私の属する証券業界でも「売買手数料の自由化」という規制緩和によって起こったのは限りなく薄いマージンと、その薄いマージンを獲得するための果てしないサービス合戦でした。そしてそれは企業調査のクオリティを落とし、短期的な売上状況や四半期毎の収益にしかアナリストの目を向けなくさせました。その結果、どんなにユニークで興味深い企業があったとしても、「時価総額が小さいから売買手数料があがらない」という理由で、株式市場では無視されるようになっています。どんな凄い企業でも最初は中小・中堅企業であるのは当たり前であるにもかかわらず、です。このままでは日本の株式市場は、ユニークな企業をインキュベート(孵化)するという役目を担えなくなると言う危機感をわたくしは持っております。
私の友人がこんなことを言ったことがありました。「諺というものは、すべからく既得権益者が、その権益を守るために生み出されたものである」。なるほど、「鶏口となるも牛後となるなかれ」と言いますが、毎日のおまんまを稼ぐ立場から言えば「寄らば大樹の陰」が本音でしょう。青年は大志を抱くべきではありますが、何もできずに大志を抱いてホームレスになったのでは意味がありません。「規制緩和」というスローガンに目くらましを受けて、ババを引くことがないようにしなければならんなあというのが、今日の「龍馬伝」を見ながら思ったことでありました。