《 調査と周辺取材 》
あまり良いイメージを与える言葉ではないのですが、「周辺取材」という言葉が野村総研出身のアナリストにはあります。あります、というよりも、どれだけ周辺取材をしたかということを厳しく先輩研究員から問い詰められるので、これ無しには恐ろしくて論文やレポートを書くことはできませんでした。
言葉の意味としてはマスメディアの記者と同じで、直接的な研究対象ではなく、その周辺の環境や関連する産業、企業について調べることを言います。たとえばわたくしは最初、化学産業を担当していて合成ゴムの企業分析が初めて与えられた課題だったのですが、合成ゴムそのもののデータや歴史、財務数値を調査するだけでは合成ゴム産業の予想をすることはできません。主たる需要先である自動車や建設・建築といった産業や企業がどういう動向にあるのか、また新たに合成ゴムを使うようになる産業や逆に合成ゴムに置き換わる素材を使う可能性がある産業の調査もしないと直接の調査対象がどうなるか予測はできないからです。
またそうした即物的な効果だけではなく、別の産業・企業の調査をすることは全く違うインスピレーションを与えてくれる時があります。どうしても同じ産業、企業ばかりを見ていると見方が固定化されます。しかし、ちょっと角度を変えてみてみると難問がひょいっと解けることがあります。その時の面白さはまさしく「醍醐味」でありまして、今でも時間が許せば全く違う業界の決算説明会や会社説明会に参加するようにしています。このメールメッセージを再開してからでは、昨年の11月8日に書いた「理想と現実と本質」という、ネット企業の決算説明会に出席して感じた「ネットによる世論操作の恐ろしさ」がそれになります。
《 SBIと北尾CEO 》
そんなわけで相変わらず「周辺取材」としての説明会出席をしているのですが、唸るほど感心したのは先日のSBIホールディングスの決算説明会です。
SBIには私の高校時代の友人が経営幹部で勤務しているという縁もあるのですが、それよりもやはり私にとっては野村の先輩である北尾吉孝CEOが率いて大成功をした企業という方が強い印象の企業です。と同時に、投資銀行を中心としたコングロマリットを形成している野村ホールディングスにとってはライバルでもあります。
北尾CEOについては色々な評価がなされていますし、またご自身も多くの著作を書いておられます。しかしながら、申し訳ない。ナマケモノの佐々木は一冊も読んだことがありません。ただ、誰に伺っても「怖い」「凄い」「強烈な」人であるということを仰るので、とにかく恐ろしい人なのだろうと思っておりました。正直なところ、若干、うさんくささも香る人なのかな、と(ナイショです!)。ところが、説明会に参加してそのマイナスイメージは見事に消え、ただただ、論理の緻密さと先行き見通しの冷静さに驚くばかりでした。
《 金融業から窓口業務が消える? 》
一時間半の決算説明会で一時間二十五分間、一人でプレゼンをしてしまったというタフさも驚いたのですが、その膨大な説明資料の中の数字についてすべて頭の中に入っているというのは強烈です。なにせ、プレゼンの資料をパソコンでめくるより先に次のページの数字を言ってしまうのですから、間違いなく100%、計数については理解しているのでしょう。
また現在、金融業を営む企業にとって極めて耳の痛い話を二つされたことも強い印象を残しました。
一つは「あと五年で、金融のリテイル業務(注:支店などで行う窓口業務)はITとネットで全て置き換わる」というものです。ご存じの通り、それが商業銀行でも投資銀行でも、また生損保であっても窓口業務で行う預金業務、振込振替業務、販売業務などは極めて重要で、だからこそ競って金融業は支店をあちこちに開設してきました。オカネというデリケートな商品を扱うという意味でも、人がいる窓口というのは信頼度の意味でも必要不可欠だったのです。
しかしながら、だからこそユーザーは振込を当日中に完了させるために14時までには振込を行わねばなりませんし(それ以降だと翌日回しになります)、金融機関の窓口はその後の残務処理のために15時には閉まってしまうのが当たり前となっています。そしてそんな不便さを嫌ってネット銀行やリアル銀行のネットバンキング業務が圧倒的なユーザーの支持を受け、またセブン銀行やイオン銀行のような流通系銀行がATMでの現金引き出しなどにビジネスチャンスを見つけていることはご存じの通りです。そう考えると、きちんと存在しているということに疑念を持つ必要のないところである金融機関ならば、窓口業務はなるほどネットとITに置き換わってなんの不自由もありません。むしろそれで手数料が下がるのであれば万々歳でしょう。年配の方などのITリテラシーで問題ある方だけ、ネットとITではない方法のサポートを用意すれば良いだけです。
となると、これは非常に恐ろしいことです。なぜかというと、支店で窓口業務をしている人員は「不要」となるからです。貸付やファイナンス業務を行っている金融機関が余剰人員だらけだということになれば、これまでさんざん「あなたの会社は人件費過多だから、早期退職をなさった方が宜しい」などと講釈をたれていた金融機関自身が今度は人員整理をする必要が出てくるでしょう。
《 製販統合の金融のあり方は正しいのか? 》
二つ目の印象的な話は、「金融業界におけるオリジネーションとディストリビューションを今後は分ける時代に入る」ということです。ちょっと聞き慣れないカタカナですが、要するに金融商品の開発(オリジネーション)とその販売(ディストリビューション)は別々の業務になりますよ、ということです。
消費産業の方、特に流通業に関わる方がお聞きになれば、「何を当たり前のことを言うとんのや」と笑われるでしょうが、実は金融業界は自社で開発したものを自社で売るというのが今でも原則です。たとえば生命保険、損害保険、定期預金などなど。せいぜい、投資信託が他者で開発したものを売っていることがあるということですが、ただその場合はかなり高い「販売手数料」を開発側から徴収しています。本当は自社ですべて開発して、自分で売った方が儲かるというのが本音です。
フィナンシャルプランナーといって、どういう金融商品をどう組み合わせて保有すべきか(=買うべきか)ということをコンサルティングするビジネスがありますが、その場合でも全ての金融商品の属性と特色を理解して、顧客に合わせて組み合わせてアドバイスするということはあまりありません。まず物理的に星の数ほどある金融商品を理解するのが難しいし、生損保では「代理店」制度をとっているケースが多いので、A社の保険とB社の保険を均等に扱うということがなかなか難しいケースがあります。ですから、どうしてもコンサルティングに偏りが出てきます。
しかしSBIは経営の根幹である「証券業」「銀行業」「損害保険業」「生命保険業」「決済サービス業」ではジョイントベンチャーや提携はあるものの、他の提携機会を排除する形にはしていないようです。つまり、A社と提携してつくったJV企業はあるけど、B社と提携したり、C社の金融商品を売ることも自由であるという一線は守っています。事実、終わった年度ではある分野で、意見が合わなかったのでJVを一つ解消しています。
ですから、伝統的な生命保険会社のように自社で保険を設計して、それを嘱託社員を通じて家族親族友人の縁故を通じて販売し、一通り販売仕切ってしまったら、新しい商品を設計して、その保険に乗り換えさせるというような回転営業的な業務は一切SBIはしないし、する必要がないのだと北尾CEOは言います。とにかくユーザーが喜ぶ商品を見つけ出してそれを販売することがSBIの使命であり、どうしても現在の市場にない金融商品を誰かに作ってもらってそれを販売するということが業務の根幹なのだそうです。
この話も既存の金融機関にとっては恐ろしい話です。なぜならば、一つ目の話と同じく、人員を多く必要とはしない金融事業のビジネスモデルだからです。少々強引な例えですが、「優良専門店が多く存在するならば、直営店をやめて優良専門店のテナントリーシングに特価すれば良い」と小売業が考えるようなものです。その時に発生するのは直営店では必要だけど、テナント運営では不要な販売員をどう処遇するかという問題ですね。よって根っこは同じであります。
《 「SBI何者ぞ」 》
もちろんわたしは一度しかSBIの説明会を聞いたことがないですし、SBIの金融商品を買ったこともありません。北尾CEOがオフィシャルに説明会で仰っていることと、実際のユーザーが感じていることの間には温度差がある可能性を否定できません。しかしながら、そのたった一回、わずか一時間半のプレゼンの中に現在の金融業界の抱える問題点のかなりの部分が詰まっていたことは事実です。それらの問題点を事もなげに、しかも計数をベースに話してしまうSBIというのはかなりモノスゴイ会社なのであるという印象を私に与えました。
女には学問など不要と考えられていた時代い、非常に厳しい家庭環境で育った天才女流作家 樋口一葉が「たけくらべ」でデビューしたとき、既に一流の歌人であった正岡子規は新聞書評で、「一行読めば一行に驚き一回を読めば一回に驚きぬ……一葉何者ぞ一葉何者ぞ。」と感嘆と賛辞を書いたと言います。
それに習えば、世間でのSBI評、北尾CEO評がどうであろうと、「資料一ページ見れば一ページに驚き一言を聞けば一言に驚きぬ……SBI何者ぞSBI何者ぞ。」という感じでしょうか。これが果たして今後の調査にとってどういう成果をもたらすかはわからないのですが、少なくとも「周辺取材」の醍醐味を感じた時であったことは事実なのです。