《 リーマンショック当事者の新刊本 》
 さて、久々に新刊本を衝動買いしてしまいました。著書は桂木明夫さん、2009年秋にリーマンブラザーズが倒産する際の日本法人の社長です。タイトルは「リーマン・ブラザーズと世界経済を殺したのは誰か」。装丁も極めて地味で、センセーショナルな仕掛けは何もありません。中で使われている関係者の写真も控えめで、ぱっと見としてはビジネス書としては成功するのかどうか心配になるような本です。

 そんな本をなぜ衝動買いしたかと言えば、ひとつには私自身がリーマンで破綻を経験したことがありますし、なにより何があの時起こっていたかを知りたかったからであります。その観点からは非常に満足度の高い本でありました。

 リーマンショックが起きた後、何冊か「リーマン本」が出たのですが、その多くは破綻の数年前に退職していてリーマンが拡大主義に入った頃のことなど知らない人が書いた本であったり、また何か裏の意図があるのではないかと思われる告発本に近いものでした。それに比較すると桂木さんの本はただ淡々と何が起こったのかを書いてあります。特に前半の破綻までに彼がどう感じていたか、どういう行動をしていたかは当事者でなければわからない迫力があります。

 それでいて、ポールソン財務長官(当時)やバーナンキFRB議長を批判はしているものの、一定の冷静さを持って、感情的になっていないところに、これまた当事者ならではの信憑性を感じます。

《 リーマンの経営への教訓は何か 》
 内容についてはまだ発売されたばかりの新刊本ですからここで書くのはルール違反でしょうから多くは申し上げません。ただ、印象に残ったのは以下の三点です。

 第一にリーマンブラザーズを破綻させることによって発生するリスクを余りにも軽く見ていたのは、米国政府の過ちであったとはっきり述べている点です。また、直接的に金融危機の原因となったサブプライムローンの格付けに高い格付けをつけた格付け機関を冷静に批判している点も強い印象を残します。

 今回の金融危機は過去に何度も色々な国で発生したバブル崩壊によるものです。しかし、基軸通貨であるドルを持ち、そのドルをばらまいていた確信犯である米国が、自分達の政策失敗の責任を金融業界や他者のせいにしてお茶を濁そうとしている点は極めてアンフェアな印象を受けます。現在起こっている米国への不信、ドル安などはそのアンフェアさに対する無言の批判ではないかと桂木さんの著作はあらためて感じさせます。

 第二にリーマンの破綻を回避するために、本当にギリギリまで交渉がなされていたと言うことです。これは大きな経営破綻となったマイカルやヤオハン、イトマンなどなど過去の日本の事例でもそうなのですが、「これでなんとかなるだろう」と当事者達がホッとした次の瞬間に、マスメディアの憶測記事やリーク記事、噂などですべてがぶちこわしになるということがよくわかります。

 ただ、それは勿論それはリーマンが被害者面をできるということにはなりません。リーマンを心から応援してくれるファンが少なかったことを元従業員の私も含めて、謙虚に反省しなければならないでしょう。

 第三に最終章のタイトルでもあるのですが、「歴史は繰り返される」であります。これはこのメールメッセージの根幹に流れる私の思いに非常に近いものです。私がリーマン破綻以降ずっと考えているのは、「常識を疑え」。所詮、物事はすべて「循環」であります。景気も人気タレントも音楽もファッションもすべては「循環」しているわけで、時間軸の長短と若干のマイナーチェンジがなされるところだけが違いです。日本ではそれを「諸行無常」という言葉で皮膚感覚で感じてきていたはずです。ですからマスメディアのマッチポンプ的な記事には極力心を乱されずにいたいものだと思っています。

 事実、年明けから小売業の既存店増収率の減少の要因は一品単価の減少よりも買い上げ数量の減少にシフトしていますし、昨年対比での増収率は底を打った感があります。百貨店は経営のやり方がまずいところがあったとは思いますが、大手百貨店がすべてユニクロのテナントになることはないでしょう。前にも申し上げたように公共交通機関での大量の通勤客を抱える東京圏、大阪圏では女性の衣料品に対するニーズが消滅することはありませんから、百貨店の婦人服売り場はなくなりません。なによりも閉店するのにもお金がいりますし、閉店すればキャッシュフローに壊滅的打撃を与えます。「赤字だから閉店する」というのはステレオタイプの見方でしかありません。メディアの記事は以前は一年、今は三ヶ月も内容がもたないのではないでしょうか(「アナリストレポートは一日だ」という皆様のお叱りも聞こえそうですが)。

 これら印象に残った三点を企業経営に当てはめてみれば、(1)経営判断のミスはなるべく早期の段階でケリをつけておく必要がある、(2)自分の会社のファンを各層に広げておかなければいざという時に誰も助けてくれない、(3)すべては「循環」なのだから尚早な結論を出さずに「全てを疑ってかかる」こと、ということでしょうか。

《 「社会をよくしたいですねぇ」 》
 私は桂木さんとは転職の入社面接の時にしかお会いしたことがありません。しかもその面接は入社が決まってからのものですから、形式的なものでした。そんなこともあり、非常にリラックスした会話をしたことを覚えています。面接官である桂木さんから色々と質問を受けた後、「あなたから聞きたいことはありますか?」と言われたので、ちょっとイタズラ心を出して「桂木さんは多くの企業で成功してきて、経済的には十分なものをお持ちと思います。そういう状態の中で、次に何をなさりたいと思いますか?」と聞いてみました。

 桂木さんは数秒考えて、こう仰いました。「社会をどうすればよくできるのかということを考える時間が欲しいかな。で、そういう行動を実際にやることですかねぇ。」。

 多くの破綻した企業の経営者がメディアによって晒し者にされ、有ること無いこと悪評判を立てられます。桂木さんもそれほどひどくは無かったのですが、それでも、それなりに酷い扱いを受けたのを覚えています(まぁ、リーマンに勤務していること自体が悪であるという扱いは従業員全員が受けましたが(苦笑))。しかし、その桂木さんが入社も決まっている私とした無駄話の中で、「社会をよくしたいですねぇ」と語っていたことは、「金融業界性悪説」、「投資銀行悪玉論」が蔓延する今の世論の中で、私にとって心の中の小さな宝物であります。

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