《 単価下落に変化の予兆が 》
 相変わらず出張をさせていただく機会が多く、あちこちの色々な業態のお店を拝見しています。食品、衣料品、生活雑貨、家電、外食、医薬品、化粧品、その他、その他…..。中には同じエリアを半年おかずに再訪することもあります。そんな中で、この1ヶ月ほど気づいたのが「一品単価」の変化です。

 改めて申し上げるまでもなく、リーマンショック以降の景気悪化局面の中、すべての消費産業が客数、一品単価、買い上げ数量、客単価の下落に直面しています。これは物販だけにとどまる話ではなく、学習塾のような教育産業、スポーツクラブのようなヘルスケアとレジャーの狭間に位置する消費産業もそうであると言えます。

 価格破壊というブームは既に何度目かのものではありますが、今回は円高継続、世界における日本の地位低下、そして政権交代による内政の不安定さという特殊環境があることから、単なる価格破壊ブームではなく、構造的なデフレーションに陥るのではないかと不安をあおり立てます。先ほどのスポーツクラブでは入会金を取るところは今や少数となりました。それどころか、利用する曜日や時間帯による単価差はあるものの、「一回利用でいくら」という変動売上制度を採用するところが大変多くなってきました。スポーツクラブは施設維持のコストが大きく、それを入会金や年会費、預託金という形の長期資金でファイナンスしているからこそ安定したレベルの施設を提供できたわけで、それらを失ったスポーツクラブは新たな負担を背負います。

《 単価下落が止まっていると感じる背景 》
 ただ、どうもそういった状況に若干の変化が来ているように思えます。端的に言えば、「過度の価格下落が止まり始めているのではないか」ということです。

 この半年間はとにかく異常な低価格に驚く事ばかりでした。豆腐一丁16円、納豆三パック入り37円、もやし10円、350cc缶ウーロン茶18円、298円弁当。食品だけではありません。日用雑貨に関しては、欲しいものをスーパーストアの店頭で見つけたら、100円ショップに行けばたいてい似たようなものが100円であります。外食では前に申し上げたようにかけそばは90円で食べられます。

 しかしどうもこの一ヶ月くらいの間、価格が随分と戻しているように思えてならないのです。競合が緩いエリアだからと言われればそうなのでしょうが、豆腐一丁の底値アイテムが90円、納豆三パック入りの底値アイテムが108円、成分無調整牛乳の底値アイテムが198円(注:濃厚牛乳ではありません)というエリアが確実にありました。弁当も298円弁当は248円弁当まで落ちたことがありますが、今はだいたい398円が底値です。100円上がりました。また外食も私が北海道で育った頃から好きだったあるチェーンに行って、前に食べたのと同じアイテムを注文したら1150円。確か一年前は1000円でおつりが来たはずです。

 もちろん定点観測でチェックをしているわけではないので、単なる「予感」でしかないのですが、単価引き下げを意図的に回避しようとしつつあるのではないかという意志を感じます。その理由を勝手に推測するならば、(1)日配商品のメーカーに対して優越的地位濫用で価格を引き下げ要請していることに当局が目をつけはじめていることを恐れている、(2)主婦サイドが異常な低価格商品に対して安心安全の観点から不安を持ち始めている、(3)低単価競争で疲弊しても客数増、点数増は望めないことがわかったため徐々に価格を戻している、というのが背景ではないかと思われます。

 事実、上記のように関東圏と比較してさえ高い値付けをしているエリアの可処分所得がどうかということを「民力」などで調べてみると高いわけではありません。それでも店には顧客が来て、買い物をしているわけですから、生活は成り立っているということでありましょう。また、もちろんそういったエリアでもゲリラ的なディスカウンターは存在し、チェリーピッキングをしようと思えば消費者はできる環境にあります。そうしたすべての要因を含めても、価格引き下げの効果は双方にとって薄いという判断をしているのではないか、そんなことを感じます。

《 限度を超えたものは是正される 》
 今年の1月24日号 「「高質消費」と「価格破壊」の循環」でも申し上げたのですが、消費産業は基本的に循環であると佐々木は考えます。何事も限度を超えたことは是正をされるのが世の常ですし、何よりも消費者はいつも「目新しい」と「飽きる」を繰り返しているからです。ただ、一方で真実は変えられないもので、人間は食べて、着て、生活をしていかなければ生命を維持できません。ある方が「(小売の)プレイヤーは替わっても、ワンストップショッピングの利便性は永遠に続く。」と仰ったことが印象深く残っています。とすれば単価引き下げがベンダー、小売などの業態側、そして消費者にとって「目新しいこと」ではなく、むしろ「飽きた」ことであるならば、これは是正されることなのでありましょう。

 ただ、ひとつ間違ってはいけないのは、やはり消費産業のいくつかの大きな役割のうち、とても大きな一つは「川上が得ているマージンを消費者に還元していくパイプ役である」ということは絶対に変化しないし、変質させてはいけません。その意味では開発輸入業者に丸投げのインチキものではなく、本腰を入れて作っているプライベートブランド(この言葉も手垢がついてきた感じは否めませんが)を提供し、同じ品質をより安い価格で供給するということは、この循環的な価格破壊ブームとは無縁のことであるということです。その意味で、消費産業が担うべき役割は依然として大きいものがあるはずです。

 「替わるのはプレイヤーだけで、産業の本質は変わらない」という言葉は、産業人みんなが胸に刻んでおくべき言葉でしょう。

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