《 百貨店閉店が連想させるもの 》
今週はこの話題に触れないわけにはいかないと思います、「百貨店の閉店」。順不同ですが、この一年ほどで三越池袋店、阪急百貨店四条河原町店、西武百貨店有楽町店・札幌店、ロビンソン百貨店札幌、松坂屋岡崎店、そごう心斎橋本店などが閉鎖されたり、閉鎖の発表がありました。ほんの数年前まで、浜松の松菱百貨店跡地を誰が引き受けるかということが話題になっていたのが夢のようです。それどころか、さらに百貨店の閉店が続くであろうことは各社の公式発表やマスメディアの報道をみても容易に想像がつくことです。
この事象について、いろいろな論理付けをすることは可能であろうと思います。しかし、わたくしが感じたのは日本の家電メーカーの凋落、そして将来起こるであろう日本の自動車メーカーの凋落と、百貨店の閉店は本質的に極めて似たことであるように思えてならないのです。
《 なぜ我が家はウォークマンを捨ててiPodにしたか 》
ソニーやパナソニック、パイオニア、シャープ、三洋電機といった民生電機機器の企業が、そのコスト競争力と価格競争力、そしてマーケティング力で海外企業に押されていることはもはや明らかです。オーディオ、ビジュアルで育った世代である私には、やはりSAMSUNGやLGの商品を選ぶのは何とはなしに抵抗がありますが、しかし、欧米やアジアで彼らの製品を選ぶことは至極当たり前のことになっています。コストパフォーマンスを考える消費者にとっては当たり前のことでしょう。
そして何よりもショックなのは、ソニーのウォークマンがアップルのiPodに置き換わっていることです。実は私も今のメモリー型の携帯音楽プレイヤーはソニーのウォークマンを最初に使っていました。しかし、iPodの操作性の素晴らしさ、音楽を入れるソフトであるiTunesのできの良さと融通性、なによりも保有していること自体が心躍るような「プロダクツ」としての完成度の高さはメモリーウォークマンにはないものです。
結局私のウォークマンは妻にあげてしまいました。一方で、我が家にあれから二台買い足して、iPodは三台あります。一台はわたくし用、一台は息子用、もう一台は当初は車載用で今は今で音楽を聴く時用です(スピーカーにつなげて使っています)。さらにいえば、iPhoneも二台持っていました。一台は息子用、一台はわたし用です。息子にiPhoneは贅沢かとも思ったのですが、iPodからさらに進化したその操作性をみて、「これは自分の息子には早い時期から使わせるべきだ」と考えたためです。つまり我が家には五台のアップル製品があるわけです。
《 iPADを見てまたもやドーパミン噴出 》
考えてみれば馬鹿馬鹿しい話です。iPodもiPhoneも音楽を保存できますから、少なくとも息子とわたしはiPodとiPhoneを両方持つ必要はなく、iPhoneだけでいいはず。でも、105円のおにぎりを二個買って昼食を節約しているはずの佐々木家でも、これらが馬鹿馬鹿しいという話題になったことはありません。何故か?。「これは購入して保有するのに値するものだ」と判断できるならば、誰も文句は言わないからです。
アップルの新しいタッチ型のスクリーンパソコン(タブレット型)のiPADが先週の木曜日に発表されましたが、それを見た瞬間、またもや私の背中に電流が走りました。「買いたい!」。ちなみに我が家にはパソコンが三台あります。このメールを書いている大型のデスクトップパソコン、家族共用の持ち運びできるハンディタイプのデスクトップパソコン、そしてノートパソコン。で、ノートパソコンは半年前に買ったのですが、使ったことは2-3度しかない状態。なのに、なぜiPADを買いたいなどと思ったかと言えば、それは説明するまでもなく、ワタクシの脳からドーパミンがドバーッと出たからであります。お値段が米国版だと499ドルというのも素晴らしいです。
《 エコカー栄えて自動車会社滅びる 》
話を民生電気機器から自動車に変えてみましょう。私も昭和38年生まれですから、クルマに対する興味は大変なものがあります。一時期は自動車雑誌はすべて買っていました。今も家の近くの幹線道路で車が走っているのを眺めるのは好きです。にも関わらず、自動車雑誌はほとんど買わなくなってしまいました。あれほど好きだったディーラー巡りもしなくなりました。なぜか?。「つまらない」からです。
エコカー減税で国内の自動車メーカーが販売に一息ついていることは日本経済にとってはとても宜しきこととは思います。しかし、日本の車がミニバンにエコカー減税対象車ばかりになっている現状は車好きの私には極めてつまらない状態です。エコカー減税も車両重量のトリックでレクサスのLSという昔のセルシオクラスでも減税対象になるくせに、輸入車の小型で燃費のよいものは対象にならないなどあまりにも国策がありありと出ているところも鼻白みます。で、米国政府がちょっとクレームをいったら米国社もエコカー減税の対象になるという政府の弱腰がさらにムッとくるところです。
我が家の中三の息子はもはや親と買い物に行ったり、ドライブに行ったりなどは興味がなく、友人とどこかにでかけること、自分の部屋で好きな本を読むこと、今のテレビでとりためてある音楽番組を見ることだけです。まぁ、自分もそうですから仕方ないですね。こんな状況になると、ミニバンはいりません。四人乗りのセダンやワゴンも必ずしも必要ではなくなってきます。我が家はホンダの軽自動車だけとなりました。でも、趣味としての車であればやはりスポーツカーとかデザインの素敵なものとかに興味があります。しかし、日本車ではすでにスポーツカーというカテゴリーのプロダクツはほとんど壊滅状態です。
《 伝説でスポイルされた企業力 》
携帯音楽プレイヤーとエコカー減税の日本車と百貨店閉鎖。この三者にはとても重要な共通点があるように思えてなりません。それは「欲しい!と脊髄反射で思うようなものを提供できないくせに、過去のプライドだけに頼っている」という点です。
ソニーはいまだに井深氏や森田氏、ウォークマンやトリニトロンの伝説に頼っています。ホンダは本田宗一郎と藤沢武夫、マン島レースとCVCCエンジンの伝説に頼っています。そして多くの日本の百貨店は、売上仕入れによる品揃え拡張という新し(かった)ビジネスの方法と宮内庁御用達やら古くからの呉服店やら沿線開発と文化を融合した商圏開発といった伝説に頼っています。しかし、いずれもそれらの伝説を知らない世代にとっては「つまんねぇの」としか思わせるプロダクトやサービスを生み出していないのだということに気づいていません。いや、気づいている人も大勢いるのでしょうが、大企業病の中、それを上申できる状況にないのでしょう。
《 妻は言った「百貨店商品券は要らない」 》
これは決して私のようにインチキアナリストふぜいが言っている、エキセントリックな悪口ではありません。我が家で使っているクレジットカードはポイントをためると何種類かの商品券に変えられます。で、ここ二年ほど貯めたポイントを百貨店商品券に替えて彼女に渡したのですが、そのときに彼女に言われた言葉によるショックを私は忘れないでしょう。
「百貨店商品券に替えても使えないから、今度は図書券にしてもらって」
使「わ」ないではなく、使「え」ない、であるところが重要ポイントです。もちろん、この「え」は、「おまえはつくづく使『え』ないアナリストだなぁ」というような使い方をする、あの「え」です。結婚してから、ボーナスが出たら百貨店でセーターやコートやブーツやらを買うのが唯一の贅沢であった私の妻が「(百貨店は)使『え』ない」と言ったことに、消費産業のアナリストの私は驚愕したのです。そしてそれはまさしく、本屋で自動車雑誌を見ても、新聞チラシに自動車ディーラーの広告が入っていっても、ほとんど興味を示さなくなっている自分と極めて似ているのであります。
《 要は「欲しい」か「欲しくない」しかない 》
「日本は少子高齢化で購買力がないから消費産業は駄目だ」、「中国などの新興国がもっと安いものを作るから日本メーカーは衰退する」、「日本は三流国家に成り下がる」といった最近の論調に対して、私は絶対に同調しません。経済の世界で予言めいたことが当たった試しなどないではないですか。
でも、これははっきり言えます。「ぐぉおー、これ、イイ!。これ、欲しい!」と思うモノとサービスにしか人はお金を使わないということです。そしてどうもそのあたりを日本企業は「伝説」と「大企業病」のせいで忘れてしまっているなあぁと。
先日発表された、すべての地デジチャンネルの番組を一週間録画しておける100万円のテレビなんていうのは、その最たるものだと思います。今のDVDレコーダーは同時に2チャンネル録画できますから、一台6万円の東芝のハードディスクレコーダーを4台買えば東京の地デジ8チャンネルはすべて録画できます。合計24万円。でも、そもそもそんな馬鹿なことをする必要は普通の人はないでしょう。でも、メディアの報道によるとこのテレビが「日本の優秀な技術を投入した製品」なのだそうです。いやー、もう消費者嗜好とずれまくりという気がするのは私だけでしょうか?。
随分と話が拡散して申し訳ありません。しかし、とにかく大事なのは「ほしい!」と思わせるものを作るための情報アンテナと組織をブラッシュアップしておくこと、それしかないのではないでしょうか。そう考えると、消費不振といわれている今ですが、ネタはまだまだあるように思えてならないのです(たとえば、個人的にはレンタルDVDなんて光ファイバーの速度が100倍になれば消えてなくなるビジネスだと思えてなりません。その意味でDMM.comの最近の宣伝は興味深いですね)。そこをもう一度考えましょうよと、私は申し上げたいのであります。
以上