2008年に移籍してから業務自身は変わっていないのですが、一つ大きく変わったのが担当エリアが「東名阪」から「全国すべて」に拡大されたことです。このため、今夏まではなかなか伺うことの出来なかった各地方の企業やお店にもアナリスト時代と同様に訪問できるようになりました。いや、株価動向に忙殺されていたアナリスト時代よりも頻繁に訪問できるようになったかもしれません。その点では本当に有り難いことだと感謝しております。
しかし、その分、地方の企業経営者の悩みも聞くことが増えたように感じます。その内容としては、もちろん業績や競合、地方経済、行政政策などというものが中心ではあるのですが、一番印象深かったのは「経営権承継」の問題であったように思います。とはいえ、必ずしも以前のようにウェットな「同族への継承」という悩みを持っておられる方は少なくなった印象をもっております。経営と所有の分離の問題を解決する手法は数多く開発されていますし、経営を託す相手先も増えておりますので、何がなんでも同族が経営を継がなければどうしようもないという認識を持っておられる方は少なくなりました。
むしろそれよりも問題は経営を行う「人材」です。創業家は所有はしながらも、経営はプロパーの従業員からの生え抜きに任せようとしている企業は少なくないのですが、任せ得るだけの「人材」がいないということが共通で最大の悩みであるというのです。ただ、創業者から見ればどんな優秀な社員も頼りなく見えるのはあたりまえで、それは仕方のないことなのではないかという気がします。ですから、そのことを申し上げるのですが、どの経営者もかぶりを振って仰るのは「危機感を持っている社員はいない」と。
それでも私には納得いかないところがありました。というのは、そう仰る企業のいくつもが東京に支社を設立し、そこに優秀な社員を数年間派遣させて、経営トップ予備軍としての英才教育を施していることを知っていたからです。確かに地方というのは非常に人間的な生活が出来ますが、一方で情報収集という点では難点があります。その意味では地方本社に籍は置きながらも、東京支社で色々な情報に触れ、関係を構築するというのはとても「うまい仕組み」に思えます。
そこで私はそれらの中のある経営者にお聞きしました。「でも、東京支社に配属した方々は育っているのでしょう?。何も心配ないじゃないですか。」。答えは驚くべきものでした。「だめじゃ。みんな、耐えきれずに帰ってきてしもうた。中には体をこわした者もおる。あの通勤には我慢できん言うてなぁ、降格されてもいいから戻してくれと言われたら、駄目だとは言えんかった。」。私はそれをお聞きして、うつむくしかありませんでした。地方から出てきた新入社員だった私もそうだったことを思い出したからです。
私は生まれてから就職するまで札幌で生まれ育ちました。そのことが自分のハンデになっていたと思ったことが一度もありません。関東には関東、関西には関西、中京には中京の大きな経済圏としての良さがあるように、地方都市には地方都市としての良さがあります。しかしながら、今の日本経済はそうした地方の良さというものさえも受け入れることが出来ないほどの偏狭なものになってしまったのかと少々恐ろしくも思います。
アナリスト時代には数多くの街の機関投資家を訪問してきました。その中で印象深かったのは、同じ国であっても地域によって全く文化も考え方も人柄も違っており、またそれが当然だという考えが常識だったことです。そして何よりもユニークなのは、それらの地域はそれぞれできちんと経済圏を確立していて、しっかりと稼ぐ手段をそれぞれにもっていたということです。もちろん豊かな地域とそうではない地域はありましたが、それでもそれなりにきちんと経済圏としてはなりたっていました。
ひるがえって日本を見るとき、これだけ多様で興味深い数多くの文化を保有する地域を持ちながらも、一定のルールでしか経済的に自立しえない仕組み(=大都市圏しか儲からない仕組み)になってしまっていることは、何か大きな歪みを生む、もしくは生んでいるのではないかという不安を感じております。
とはいえ、今回のこのメールには結論はありません。ただ、この一年間に訪問させていただいた中で、最後の最後まで消化不良のまま終わっていたことを吐き出させて頂いたということであります。年の最後ということでお許しいただければ有り難く存じます。
来年こそは「新」の文字にふさわしい年になりますことを祈念して、年末のご挨拶とさせて下さいませ。良いお年をお迎え下さい。