▼ 毎日がネガティブなことばかりの日々、あまり暗いことを風待食堂では書きたくない。明るく、バーンとやりましょうや!と植木等さん風にやりたいものだ(彼は言っていたではないか、「サラリーマンとは気楽な稼業ときたもーんだ」。いつの間にかサラリーマンは、自死さえも選ぶようなしんどい仕事になってしまったんだろう)。
▼ と思っていたのだが、また深く考えさせられる文章を発見した。2009年に音楽家の吉田拓郎さんが自分のブログを閉鎖するときの最後の文章である。多少長いが、噛みしめて読んでいただけないか。
▼ 【’09/吉田拓郎・Blog(竹田企画HP内)閉鎖時の言葉】ネットなど無かった頃を考えますね。ケータイが無かった時の自分を思い浮かべます。人間と人間のコミュニケーションはこんなに見ず知らず同士が頻繁にコンタクトをする事が必要で、大切なのでしょうか。私たちは、そう言う種類の淋しい人間になってしまっていますね。
▼ そうしていないと気がすまない日常しかしながら、そこには私たちにとって本当に大切な真実はそれほど存在していないようです。むしろ私たち一人一人の自由な生き方や自由な発想の邪魔をする情報があふれているように感じます。何もかもを知らなくとも毎日は変わらずにやって来ますね。知って良かった事と知らなければそれはそれで良かった事もあります。私たちの日常でどうしても大切な情報とは何かそういう意味で、ネットの果たす役割の大きさとは別に人間の心をダメにするのもネットではないかと。
▼ 今年、最後のツアーに出ます。テレビ中心でなければ人々の心をつかめないと信じていたあの頃の音楽関係者たちに、若者達は反旗をひるがえしました。テレビに出なくとも歌える場所があるのなら、そこへ行って歌えばいい!を合い言葉に、歌う側と聴く側の双方の若者達がついにあらゆる古い習慣を打ち破り、日本に新しい風が吹きました。
▼ 全国ツアーの幕開けでしたね。若者達はテレビで歌われている歌よりも、自分たちの街で目の前にした歌の方を信じたのです。ツアーが終わったら、僕はネットからも引き上げます。僕に関連する(そういう名前などを使った)ホームページやブログを開催されている方々もいかがですか。
▼ さて、それからどうする?なんてヤボです。ずっと吉田拓郎は吉田拓郎でしかなく、良いにしろ悪いにせよ吉田拓郎だったわけでですから。・・そう言うことになりますと、今の風潮のような何もかもを求めなくても、私たち元若者のプライドを胸に今はおだやかにやって行こう、とお話ししたかったのです。健康にご留意されますよう豊かなる日常でありますよう心からお祈りいたしております。2009/6/9 吉田拓郎
▼ 今朝もコーヒーを飲みに食卓に上がっていったら、テレビのワイドショーが相変わらずコロナウイルスや有吉さんの結婚やもろもろの話題を語っています。はっきり言って、どの局の番組も似通ったものばかりで得るものは殆ど無いし、その番組の中での司会者のコメントを受けて「炎上」などをしています。馬鹿なことにエネルギを使っていると痛感します。
▼ ニューノーマルだそうで、リモート通信で商談も宴会もするのが素晴らしい!と言われる時代となりました。確かに物理的に会いたくても会えなかった人や、教育を受けたくても受けられなかった人が、それらを実現できるのは技術進歩の素晴らしい事でしょう。しかし、一方で相対して対話するからこそわかる、話し相手の熱量や本音、気持ち、志などがZOOMの画面からはどうしても伝わってこないのです。そしてそれはネット情報の多くもそうでしょう。ラジオでパーソナリティが話した内容が430分後に「ニュース」としてネットに掲載されるなんて、それはニュースでは、もはやありません。
▼ さだまさしさんの「風に立つライオン」の中で、「自分たちは何か大事なものを忘れてしまっているのでは亡いか」とアフリカにいる主人公は日本にいる恋人に手紙を書きます。コロナ禍で心がすさんでいることは分かっているものの、ここのところのネットとそれに絡む状況は「異常」です。密にならないためにという言い訳で、ヒトがヒトに会わないで生きていけるほど私達の生活様式は単純ではなく、何千年の歴史をもっているということを忘れたくないものです。
▼ 吉田拓郎さんがこのコメントを書いたのが2009年、今から12年前。慧眼としか申しようがありません。